ふるさと

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  ふるさとを出た駅に

  四十年ぶりに降り立った

  駅前の景色も変わり

  川を上って奥にゆくバスもなく

  ぼくは串本駅からタクシーに乗った

  川沿いの道を走りながら

  佐田へはご親戚かなんかですか、と

  中年女性の運転手が話しかけてきた

  生まれて育ったとこです、というと

  そうなんですかあ、里帰りですね、と

  懐かしいなんてもんじゃない

  親父が死に

  ぼくは有美と二人になった

  有美はすぐに結婚し家を出た

  それから四十年というもの

  ぼくは転々と生きてきた

  有美とも電話で話すくらいで

  もう長く会ってない

  けれどふるさとの川の流れは

  あの頃のように陽に光っている

  佐田から有美に電話してやろう

  有美、兄ちゃんや 

  どこからかけてると思う、って

  二車線の広い道路を走り

  あの頃の道が分からない

  レストランがあるんかあとつぶやくと

  一枚岩は観光スポットですよ、と運転手

  けっこう人が入ってるみたいですよ

  有美といっしょに

  父を見送った日のことが浮かんできた

  森林組合のSさんが

  えらいことやっ、と駆け込んできた

  急斜面でワイヤーを修理していた親父が

  切れたワイヤーにはじかれ

  川まで転落し死んだのだ

  有美と二人で葬儀をすませ

  母の遺影に父のを並べた

  猫の額のような小さな田と畑は

  親戚が面倒をみてくれた

  有美が出て ぼくも大阪に出た

  冬のなかのふるさとは

  変わり果てた姿だった

  通りに人っ子ひとりなく

  ダム湖には倒木が漂っていた

  ぼくは流れてきた涙に気づかず

  大きな今津橋の上に立った

  たまに通る車の人が

  誰だろうというふうに

  ぼくを見て過ぎてゆく

  ふるさと佐田はほかに音もない

  有美と遊んだ谷川に水もない

  生まれた家はこのダムに沈んだが

  いまもあのままの形なんだろうか

  いや 水に朽ち果ててしまったか

  動くこともできずぼくは橋の上にいる

  ときおり寒風が吹き抜ける

  有美に電話をできないまま

  時間だけが過ぎてゆく

  思い出をたどると

  また涙が頬をつたった





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# by hara-yasuhisa | 2018-01-21 11:17 | Comments(0)

大相撲のこと

 

僕が通った小学校には立派な「土俵」があった。相撲の時間もあって、痩せた中肉中背の僕などはすぐに負けたものだ。時代は変わり、地元の小学校に「土俵」はなく、相撲の時間もない。



さて、大相撲が騒がしい。商業新聞の各紙は一面トップで貴乃花親方への処分を扱っている。これが一面トップ記事かと今朝まず思ったが、まあ、それほどの幅広い関心事ということなのか。是非はさておく。



横綱白鳳が「ウミを出し切る」と言い切っていたが、出し切るどころかウミが増え続けているように見えて、どうも気分がよくない。古くからの因習には、歴史と伝統ということと、こっぱり着き錆びついた枷(かせ)というものがある。



今回の騒動で、モンゴル力士を排撃する論がある。大相撲に外国人力士が登場するようになって久しいが、外国人かどうかが問われているのではないだろう。日本相撲協会という、国民の税金が投入されている公益財団法人のそもそもが問い直される必要がある。使われているおカネの額は半端じゃない。



僕は大っ嫌いだが、スポーツにナショナリズムをもちこむ風潮は根強い。国旗や国歌がまるで当たりまえのように登場する。世界的な大会ではほとんどそうだ。国内でも、あの県がこの県がという具合だが、そんなことはどうでもいいことでスポーツは楽しめばいいし、記録を更新すればいい。



横綱相撲という言葉がある。双葉山の名がその代表格としてあげられるが、それに続く何人かの横綱のなかで貴乃花の名が必ずあげられる。現役時代の彼の相撲をテレビでほとんど見ているが、あんな横綱相撲がとれるのは下半身がしっかり鍛えられているからだと、素人目にもそう映ったものだった。



暴力や八百長が横行するスポーツはいつかファンから見放される。あれほどまでに相撲の道を探求し稽古をつむ、そんな力士がどの部屋にもいて、それが相撲を面白くし、大相撲の質を高め引っ張ってゆく。この騒動を機にそんな姿に向かわないものかと、ふと思った。



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# by hara-yasuhisa | 2017-12-29 13:00 | Comments(0)

『赤と黒』再読

 

ジュリアン・ソレルという喫茶店が東京のどこかにあると聞いたことがある。どんな店なのか、だれがこんな名前をつけたのか、いつかは行ってみたいものだと以前から思っている。


 ジュリアン・ソレル。いうまでもなく、小説『赤と黒』の主人公だが、そこで何が描かれているのか、作者は何を伝えたかったのか、これまで何度も読んでいるが、読むたびにそれまでになかった違った考えが浮かんできたりする。


初めて読んだ高校時代には、主人公への憧れが先に立ったものだった。しかし、大学時代にふたたび『赤と黒』を読んだときは、高校時代とは違い、その悲恋の描き方に感心したりした。


 スタンダールがどんな生い立ちだったのかは、すでに詳しくわかっている。母親を早くに失い、家庭教師の司祭に反発し、軍人になったり、それをやめてパリに出て劇場通いをしたこと、そこで出会った女優とマルセーユに遊んだり、それからコーラスガールと同棲を始めたこと、そうしながら手当たりしだいに既婚女性を狙ったが上手くいかず、そしてナポレオンに憧れて戦争に参加し‥。


 そんな放蕩生活ののちに彼は有名な『恋愛論』発表したが、10年間で売れたのが10数冊だという。はじめて世に出した小説も問題にされなかった。彼は、いうところの変人だ。バルザック、ディケンズ、ユーゴー、メリメなどと同じように同時代の作家なのだが、変人ぶりは際立っている。だからなのか、物語の独創的展開が実に面白い。


ではなぜ、彼はジュリアン・ソレルを、レナール夫人を、マチルダをあのように描いたのだろうか。スタンダールはナポレオンに憧れた、だからあんな描き方をしたんだと、何度も『赤と黒』を読んで僕はそう思っている。だが、浮世離れしているとスタンダールは無視された。レナール夫人やマチルダも、あの当時にはどこにもいないような女性たちだ。



彼の憧れは打ち砕かれる。小説では、23歳でジュリアン・ソレルは処刑される。そして、彼の野望は、革命にも理想にも至らなかった。


この小説は主流だったロマン主義とは違ってリアリズム文学として名高い。バルザックは「当時にあって最も意義深い作品だ」といい、アンドレ・ジイドは「これまでで最も偉大なフランス小説」と、サンセット・モームは「世紀の大傑作」と称賛した。トルストイもまた「かなりの影響を受けた」といっている。


スタンダールは青年ジュリアン・ソレルの目を通して、フランス七月革命の到来にビクビクしながらも堕落生活から抜け出せない貴族や僧侶階級の実態を生々しく暴いた。放蕩生活を続けてきたこの変人の手だからこそ、支配階級の腐敗ぶりが鋭く暴き出されたのだ。


なによりも、このリアリズム小説は階級闘争を、そのもとでの人間を描く新しい手法を世に問うた。『赤と黒』は、のちの作家たちに小説の面白さをあますところなく教えたのである。



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# by hara-yasuhisa | 2017-12-17 12:37 | Comments(0)

中村のおいやん

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おいやんのお墓の所在が分かったので、行ってきた。



 30数年前になるか、中村のおいやん(隆一)と出逢ったのは。

 当時、党の部署のひとつに農民運動の担当というのがあり、おいやんは県委員会でその任にあたっていた。だから、農山村の多い南紀州にも足しげくやってきては、西牟婁地区委員会の二階に寝泊まりしたり、僕の自宅にもよく泊まったりした。



 詳しいことは忘れてしまったが、こうして折にふれ、戦前から戦後にかけての生活や活動の話を聞かせてもらうことになった。

 おいやんは、田辺や新宮に和歌山市の自宅から50ccのカブに乗ってやってきた。危ないからやめとけよと何度言っても馬耳東風の体(てい)でやめようとしなかった。



 ある晩、大塔村の農民と話をする約束をとりつけたと言って、車で連れて行ってくれというので同行した。話がはずみ帰りが遅くなった。近所に民家もなく、曇っていて外は闇夜だった。山の斜面にある家で、乗り入れてあったままの状態で車をバックさせ道に出ようとしたのだが、道を横切りさらに下の畑まで車ごと落ちてしまった。おかげで車のあちこちがへこむし、道に戻すのに難儀した。おいやんは、「ひとにカブ乗るなて言うわりには運転ヘタクソやなあ」と悪態をついた。



 次の夜、僕の自宅に泊まることになりおいやんと帰宅した。二人の息子が5歳と3歳の頃で、おいやんの背中といわず膝といわず二人で乗ってはじゃれていた。突然、「おいやん、おいやんの頭にはなんで毛え生えてないんな」と上の子がおいやんの頭をペチペチたたきながら言った。すると下の子も禿げ頭をなでなでしながら、「ほんまや、なんで毛えないんなよ、なあ、なんでないんなよ」と顔を覗きこみながら言う。おいやんは困りながらも反論した。「いっぱい勉強したから毛が抜けたんや。お前らは勉強してないから毛があるんや」と。すると上の子が、「うそつくな、勉強らしてないやろ」と言って、また禿げ頭をペチペチしてキャッキャいうて笑っていた。



 こんなことがあった。

 ある日、地区委員会に北条力県議(当時)が入ってきておいやんとバッタリ出くわした。すると北条県議が直立しあらたまった口調でこう言った。「山田先生、今日はなんですか?」。僕はその様子をそばで見て驚いたことをいまでも覚えている。北条県議がおいやんの前で直立して話をしている! しかも、山田先生と呼んでいる。北条県議の態度も、山田先生という聞いたこともない呼び方にも唖然とした。

 僕は、北条県議に「おいやんを知ってるんですか」というと、北条県議は「知ってるもなにも、むかし厳しく指導された先生や」と言ったので、僕はさらに驚いた。



 あとで分かったことだが、50年代後半から60年代にかけての一時期、おいやんは田辺西牟婁の党の責任者をしていたのだ。中田幸雄田辺市議(当時)においやんの話をすると、「ああ、山田先生かあ。とにかくよう殴られたなあ」というので、「殴られた?」と聞くと、「会議やってても、ちょっとでもやる気のないことを口にしたら雑誌とか本とかでどつかれたよ」という。「下駄で頭を殴られたこともあったわ。お前、やる気あるんかないんかどっちな、はっきりせえっていうて樫の木でできた下駄で頭をはたれたわ、とにかく恐ろしかったわ」と笑いながら言ったのを、僕はいまでも覚えている。



 「山田ていうのはそのころ使っていたペンネーム(筆名)や」と、おいやんが教えてくれた。「無茶苦茶な指導者やったんやなあ」と僕が笑うと、「あの頃はな、厳しくせなんだらやってゆけなんだんや、権力の手先もおったしな。ま、若いころの話やわ」と笑ったいた。



 そういう時代においやんと出逢っていたら、また違った付き合いになったやろうと思ったりもしする。しかし、僕が出逢ったころのおいやんはもう初老で、アホな話ばっかりいうて周囲を笑わせる人であり、女性とみるとまずはハグをしにゆき嫌われていた愉快な人であった。



 そのおいやんも北条さんも中田さんも、逝って久しい。おいやんのお墓は和歌山市内を眼下に見渡せる山の上の霊園にあった。墓石の前で、僕はしばらくおいやんと話をしてきた。
 おいやんには孫さんが何人かいるのだが、そのうちの二人が日本共産党の議員をしている。中村朝人和歌山市議と中村真紀紀ノ川市議である。

 (写真・・・お墓から和歌山市内が一望できた)



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# by hara-yasuhisa | 2017-11-26 13:42 | Comments(0)

 信号機もコンビニもない町での「つどい」


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 古座川町は、町というより村と呼んだほうがピッタリくる。町の面積は山林がほとんどで実に広大だ。この町には信号機もなければコンビニもない。ここを流れる古座川は県内屈指の清流で、約50種に近い生物が生息している。

 

 職場を退職した洞佳和さんが参院選挙区候補だった僕とで「党綱領と日本の未来を語りあうつどい」を始めたのは、参院選挙を半年後に控えていた2013年の1月のこと。隣の西牟婁郡すさみ町の経験に学んで「つどい」をやろうと決心したものの、どういう展開になってゆくのか、初めての取り組みで不安の方が大きかった、とふり返る洞さん。

 「つどい」をするといっても、まずは場所を借りないといけない。洞さんは町で一番奥の集落の区長宅を訪ねて、日本共産党の「つどい」をするので会館を貸してほしいと申し込んだ。区長は、「そんなんいままでにないけど、かまんで」といってくれ、「わしも人集め手伝うよ」と申し出てくれた。早速、地区委員会に頼み案内チラシを作ってもらい、それを20戸すべてに配って歩いた。

「つどい」当日、区長は放送までかけてくれ、ご夫婦もふくめ19人が会館に集まってくれた。洞さんが司会と町議会のことを報告、僕は共産党について話し、懇談に移った。そこでは、年ごとに人口が少なくなってゆく不安や危機感が共通して出され、地域社会が維持できない深刻な事態や、山林事業の衰退をなんとかしてほしいという切実な声がいっぱい出された。 



それから今日まで、「つどい」は町内のすべての区を一巡し、現在2巡目に入っている。先月の「つどい」で48回実施したことになる。参加者ゼロも2会場あったし、1人というときも2会場ほどあった。これまでの総参加者は260人で、人口が2700人だから約1割の住民が参加したことになる。これは驚異的な数字だ。

「つどい」を通じての入党者は、党大会後の4人をふくめて約30人、党員も「赤旗」読者の有権者比も過去最高を更新している。国政選挙比例代表の得票率も、「つどい」開始前の7%台から2017衆院選挙では12%台へと前進してきている。

先日、少し前に「赤旗」読者になってくれた方から「赤旗手帳」の注文があった。訳を聞くと、「憲法9条の改悪に反対やけど、いままで憲法って読んだことがないんや。手帳には載ってるて書いてあったから」だという。

また、先日「立憲民主党と共産党と何が違うんなよ」との質問も受けた。「つどい」で語るべきことはたくさんあるが、欲張らないで、その時に出された要求や疑問に党綱領を読み上げながら丁寧に説明するようにしている。

 約5年間で党支部は倍以上になり、いまは班に分かれて集まっている。「つどい」の取り組みを重ねるたびに、自分たちがこの町の共産党なんだという空気が生まれ、支部も自立した支部へと生まれ変わろうとしている。大事なことは、一貫してやり続けること。
 (星空の古座川町)




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# by hara-yasuhisa | 2017-10-29 12:55 | Comments(0)

息子の写真

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 公示の朝、出がけにゆう(去年亡くした息子)の小さな写真を持った。
 候補者カーのポケットにそれをかけ、12日間をともにたたかうことにした。

 生前、ゆうと交わした会話を思い出したからだ。息子たちがまだ中学生のころだったか、何度も選挙に出るぼくに聞いてきたことがあった。「なんで、落ちても落ちても出るんなよ」と。

 社会進歩のためだと、ふたりに分かるように説明したことがあった。それはまた、19歳で共産主義者をたらんと入党した動機でもあったが、後年、ゆうはその答えを、なかなかのものだと思ったと妻となった美穂ちゃんに話していたらしい。

 また、公示のこの日、遠く離れた大学時代の友人から、激励の手紙がカンパとともに届いた。入党した頃からの友人で、旧い友に元気をもらった。





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# by hara-yasuhisa | 2017-10-11 14:49 | Comments(4)

 夏が過ぎてゆく

 

 森小手穂(もりおてぼ)を過ぎ少しゆくと、貴志川線に沿ってすぐ左手にゆうの家が見えてくる。辺り一面が稲穂のみどり色にゆれている。ゆうはきっと、水田の風景やこの悲しいほど美しい稲穂のみどりが好きでここに住もうと決めたんだろうと思う。


 ゆうがいなくなってから1年少しがたった。ときが過ぎれば過ぎてゆくで、逝った直後の苦しさとはまた違う感情が芽生えてくる。それにしても、あの辛かった病室での毎日もそれからの苦しさと比べれば、ゆうが生きてそこにいたわけでまだ救われた。


 「言いたいことばが来たら、指を強く握ってよ」

 美穂ちゃんがゆうの手をもって耳元でそういう。

 「あ行から行くよお。 あ、い、う、え、お」

 ゆうの手は動かない。

「あ行の中にはないんやね」と美穂ちゃん。

「次はか行やで。 か、き、く、け、こ、・・・ないんやね」


こうして、ゆうが強く握ったのが、「も、う、え、え、よ、め、ん、と、」・・・そこから先は疲れたのか、ひとことも進まなかった。

ゆうの意志を聞いたのは、この日のこの会話が最後になった。その日から、その次に来る言葉がずっとこころに引っかかっていた。妻である美穂ちゃんは、もっともっと引っかかっているだろうと察した。


ある日、美穂ちゃんにそのことを確かめてみた。

「もうええよ、面倒かけたなあ、ありがとう・・・ゆうやさんは私にそう言いたかったんやと思う」

美穂ちゃんはそう言った。

そう美穂ちゃんから聞き、なるほどそうに違いないと思った。これが息子ゆうの最後の言葉だった。


盆に、ゆうの好きだった五島の浜に行ってみた。広い砂利浜の入り江には釣り人が一人いるだけだった。


この浜にきみが残せし足あとを夢で探しつうつつで探しつ


風は残暑に変わり、季節はせみの声からトンボの舞いに移ろうとしている。


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# by hara-yasuhisa | 2017-08-23 16:01 | Comments(0)


折ふしのうた


by hara-yasuhisa

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