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念仏講

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 近所でご不幸があり、念仏講の一員なのでお経を唱えてきた。念仏講というのは色々の宗派で行われているようだが、うちは臨済宗妙心寺派の念仏講だ。

 臨済宗の念仏講には特にこれを絶対に唱えなければならないという経典はないとのことだが、だれが決めたのかうちの念仏講は次の8つを唱える。
 1、開経偈 かいきょうげ
 2、懺悔文 ざんげもん
 3、三帰依文 さんきえもん
 4、十三仏 じゅうさんぶつ
 5、摩訶般若波羅密多心経 まかはんにゃはらみたしんぎょう
 6、延命十句観音経 えんめいじっくかんのんぎょう
 7、舎利礼文 しゃりらいもん
 8、ご詠歌・・・西国三十三所のうち七観音および聖福寺のご詠歌、ということで、これはいくつか紹介すると

 ふだらくや きしうつなみはみくまのの なちのおやまに ひびくたきつせ
 (補陀洛や 岸うつ波は三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬)

 いくたびも まいるこころははつせでら やまもちかいもふかきたのがわ
 (幾たびも 参る心は長谷寺 山もちかいも 深き谷川)

 かかるよに うまれあうみのあなうやと おもわでたのめ とこえひとこえ
 (かかる世に  生れあふ身の あな憂やと  思はで頼め 十声一声)

 問題は、唱えるというか歌うときの節まわしなのだ。病気の母に代ってずっと参加しているが、いまだに正確な節まわしで歌うことができない。仏教の教えを五・七・五・七・七の和歌で現わしているご詠歌だが、この旋律、なかなか難しいのだ。

 (写真・妙心寺の境内は広大で、いつ訪れてもたくさんの参拝者が行き交っている。ご詠歌  の小冊子)
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by hara-yasuhisa | 2012-09-30 20:17 | Comments(0)

 訪問した先で、ある女性が「ポスターのお顔を見て耳に注目してたんですよ。いい耳ですねえ」と言われた。「耳相」ということがあるらしい。

 「手相」ということばはよく聞くが「耳相」は初めて聞いた。「福耳」などの言葉を聞いたことはあるが、さして興味もなく聞き流していた。

 耳は腎臓? らしい。
 聴力も腎臓だ、と。腎臓や肝臓は解毒、排毒をする器官で、腎臓は水分をろ過して不要なものは尿や汗にして出す。一日あたりドラム缶一本分の水分をろ過しているとのこと。

 ろ過装置はネフロンと呼ばれる。このネフロンにものが詰まり、水分がうまくろ過されないと腎機能が落ちてネフローゼとかの症状に。それはともかく、

 耳は腎臓と同じ形らしい。 大きい、厚い、耳たぶがしっかりあって、下に長い・・これが「福耳」で、長寿で健康らしい。東洋医学では、腎臓、耳、骨、髪、精力は関連しているとされ、活力、行動力、精力の源泉は腎臓にあるとみるらしい。
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by hara-yasuhisa | 2012-09-29 09:20 | Comments(0)

まんじゅしゃげ

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 まんじゅしゃげ(曼珠沙華)。

 まんじゅしゃか、とも読め、流行り歌のタイトルにもある。今朝、家の庭に咲いていたのを写した。秋のひととき、ひと昔前はそこいらじゅうに咲き誇っていたのを思い出すが、最近は少なくなった気がする。

 この花、昨日はなかったのに今朝は見事に咲いている。それほど急成長するのだが、花の命は短いとはよくいったもので、ほんの数日で消える。

 この花を見ると、稲刈りが終わった田んぼで野球をした子どものころの風景をなぜか思い出す。遠く、懐かしい風景に誘われるような気持になる。
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by hara-yasuhisa | 2012-09-28 17:48 | Comments(1)

それからもう300年

 
 「私はあなたの意見には反対だ。しかし、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」― ヴォルテールが言論と表現の自由、民主主義について論じた有名なことばだ。

 あれほど信頼されていなかった「原子力安全保安院」に代わって、信頼を取りもどそうと設置された「原子力規制庁」が、早くも正体をあらわにした。

 「しんぶん赤旗」の記者を取材から締め出すという。曰く、「特定の主義主張を持つ機関の機関誌はご遠慮いただく」と。このあまりのあからさまな「主義主張」ぶりにはあいた口がふさがらない。

 反原発を鮮明にしている新聞の会見取材は拒否するということのようだが、考えてみればどこの報道機関もそれなりの主義や主張をもっているもので、それがないと記事など書けない。そんなことを「しんぶん赤旗」の締め出しの理由にするなら、すべての報道機関が対象になる。

 だけど、記者クラブ所属の報道機関は排除していないのだから、つまりは「しんぶん赤旗」締め出しだけが目的ということだ。いやはや、こんな人たちが原子力の在り方を左右しているとは。

 ヴォルテールの言葉は1700年代のことで、それからもう300年が過ぎ時代は21世紀に入っている。彼がこの「締め出し」を聞けば、いったいどう言うだろうか。
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by hara-yasuhisa | 2012-09-27 22:09 | Comments(2)

宗教者との対話

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 ちょうど1年前の写真だ。

 党中央委員会から副委員長の緒方さんに来てもらって「宗教人と日本共産党との懇談会」という集まりをもった。県委員会として挨拶を述べたが、写真はそのときのものだ。

 今年のはじめ、永平寺(福井県)を訪ねた帰りに京都花園にある妙心寺に立ち寄った。僕の菩提寺は白浜町堅田にある聖福寺で本山は妙心寺だ。この日、春にはまだ間がありそこここに雪が残っていた。

 信仰心薄い身ではあるが、古いお寺を巡るのは好きだ。かといって、特別こだわってお寺を巡っているわけでもない。40年前、母と二人で訪ねた妙心寺に、またふたたび足を運んだまでのことなのだ。

 去年の宗教人との懇談会は刺激的な話をたくさんうかがった。なかでも、社会主義が発展すればするほどキリスト教のいう神の国に近づくことになるのだ、というキリスト者の方のお話にはこころが騒いだ。

 現世のことについていろんな宗教者の方と話をするのは楽しい。そんな機会をまた持てればと思う。
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by hara-yasuhisa | 2012-09-26 22:54 | Comments(0)

虚無の庭

 思うところがあり『伊豆の踊り子』を読み直した。

 川端康成は1歳で父を、2歳で母を亡くしている。祖父母が彼の面倒をみるのだが、数年後に祖母も死ぬ。目の不自由な祖父を子供ながらに看病しながら暮らすが、15歳で全くの孤児となる。

 川端は一高に進み、その頃に伊豆に旅しそこで美しい踊り子と出逢い、『伊豆の踊り子』を書いた。淡い恋心が美しい文章で描かれていて好きな作品だ。 しかし、その後に発表された『雪国』、『禽獣』、『山の音』などの作品には川端の心にある悲しく暗い部分が色濃い。

 この世とは儚いもので、美しさとか幸福とか、そんなものはいつか消えてゆくという、川端文学にはこの無常観がいつも流れている。 『山の音』でも、「逃れられない孤独」とか、「愛することの空しさ」とかの表現が目立つ。『雪国』の主人公・島村の人を見る眼の冷たさも実は川端のそれだ。

 だが、文章はまるで美しい音楽を聴くかのような調べで、ときにうっとりもする。『雪国』がノーベル文学賞を受賞したのは英訳されたものだが、英訳もすぐれていたのだろう。

 その川端の美しい文章を受け継ごうとしたのが三島由紀夫だといってもいい。乱読ばかりしていた若い日の一時期、この三島の作品をあれこれと読んだことがある。好きになれなかった。

 川端が三島をどんなに可愛がり、三島がいかに川端を頼っていたかはよく知られている。三島を有名にしたのは『金閣寺』だ。青年僧が放火して金閣寺が全焼したとき、この青年僧は放火の理由を「自分は金閣の美しさに嫉妬した」と述べた。この一言に三島の想像力が動いたのだろう。

 三島は『金閣寺』に自分の持つ力すべてを投入した。愛する金閣寺を自分のものにしたい。主人公は、焼失させることでそれを実現しようとした。それによって金閣寺を永久にわがものにしようとした。破壊してはじめて相手を所有する。この観念の小説は三島の倒錯した思想をよく現わしている。

 その三島の最後の作品『豊饒の海』には三島文学のすべてが込められている。彼は、「この四部作が完成したら自分は死ぬ」といい、青年を集めて「盾の会」を結成し、天皇を中心とする「侍の精神」の復活を訴えたが、大衆は聴く耳を持たなかった。 

 『豊饒の海』で三島は書いている。「閑雅な、数珠を繰るような蝉の声」がする庭に主人公の本多は佇む。「そのほかには何ひとつ音とてなく、寂莫を極めている。この庭には何もない。記憶がなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った」と。虚無のなかに彼はいたのだ。

 三島は自決する前夜、夜半までかかってこの最終章を書き終えている。三島を支配していたものは現在も過去も未来もすべて無常という観念だ。1970年11月25日、45歳の三島は自衛隊市谷駐屯地の総監室で割腹して果てた。

 それから1年半後の4月、川端はガス自殺をはかる。愛弟子の自決は川端には大きな衝撃だったに違いない。三島が辿りついた虚無の庭に、川端もまた佇んでいた。

 文学的な成熟にかかわらず読後感があたたかい小説はたくさんある。しかし、川端と三島の文学にはそれがない。あるのは自己愛で、他者に対する愛情が希薄だ。新感覚派と耽美主義というこの二人の作家がたたずむ虚無の庭には白い花が寂しく咲いている。
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by hara-yasuhisa | 2012-09-25 20:40 | Comments(3)

ウサギが餅をつく月

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 いまはもう故人となったNさんと14~15年前に北山村の旅館に泊まったことがあった。Nさんは無類の酒好きだが、僕が飲まなかったからかその晩は二人とも早く床についた。

 夜半、ガラス障子の窓外のあまりの明るさに、「だれやこあな夜更けにライトをつけてから」と思って窓を開け、外を見て驚いた。ライトではなかった。月明かりが冴え、冷えた戸外を照らしていた。

 わあ~、というため息ともつかぬ声が出た。月の光がこれほどに明るいのか、まるで昼間のようではないかと、茫然と辺りを見ていたことを思い出す。

 昨日、その北山村に知り合いの古老を訪ねた。久しく会っていない方だが会うことが叶わなかった。奥さんのお話では高齢で目も耳も不自由になり話ができないとのことだった。

 奥さんは「私も80代の半ばまで来たが、世の中の何もかもが変ってきた。お月さんかて、昔はウサギが餅をついているのがはっきり見えたのに、いまの月はそれも見えんもん」という。

 この話を聞きながら、先のNさんとの思い出がめぐってきたのだ。この奥さんとは、僕は実は初対面なのだが、「兄さん、あのポスターの人やなあ。よう似てるわ」という。「よお会いに来てくれましたなあ」と、頭を下げられた。

 竹筒からの九十九(つづら)おりの山道は、去年9月の台風の復旧工事で時間規制がかけられており、2時間に15分間だけ通行が可能だ。一昨日降った大雨で濁った北山川をはるか眼下に見ながら、大小の落石が散らばっている山道を戻った。
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by hara-yasuhisa | 2012-09-20 23:07 | Comments(0)

そもそも猪は

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 そもそも猪は山の奥深くではなく、里の近くに生息する動物だ。その昔、だけども農作物の被害が少なかったのは、農業林業が盛んだったために猪が山の深くに追いやられていて個体数も激増しなかったからだ。

 近年の被害の増加は、農業や林業が衰退したためで、かつて田畑であったところは竹林や薮が広がり、また山は手入れすることもなく荒れ果てたからだ。そんな場所は猪の格好の棲みかであり繁殖の場となった。
 
 猪は農作物を根こそぎ食い荒らす。土の中のものが好物で、鼻で地面を掘り大きな穴をあける。田んぼの稲の穂が出そろったころグループでやって来ては穂を食い荒らし、一晩で稲が全滅することもある。

 この立て札を出した方(清水町清水)も、聞けば一晩で稲刈り前の稲穂を食い荒らされたんだとかで、まことにお気の毒なことで、怒りとともに、がっくりと落胆されていた。そこでこの立て看板を出したわけだが、腹立ちのあまり相手が字が読めないことを忘れていたとか。

 猪は嗅覚が鋭く、家の外に放置された残飯などの匂いにつられ住宅地にもやってくる。ゴミの出し方も、最近では地域で工夫しているところが多い。
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by hara-yasuhisa | 2012-09-17 21:29 | Comments(3)

あらぎ島

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 政見放送の収録。

 吉備にある松阪ひでき県議事務所で大阪からの撮影スタッフと合流して清水へ。

 きょうは有田郡の日程。しかし、政見放送用のアピールを収録するということで急な日程が割り込んできた。3区のイメージが出る場所でというので、有田ではやはりここかと、あらぎ島の棚田をバックにした。折りしも連休、眼下のあらぎ島では稲刈りの真っ最中。

 あいにくの小雨で、奥に上ればもっと降ってるかもと思いつつ三田へ急いだ。ところどころに青い晴れ間があるが、曇っている。降ってこないうちに撮影しようと急いで収録した。

 なんとか降り出すまえに撮影できたねと、話しているうち天気はみるみる回復し晴れ上がったのだ。天気予報は昼からは天気が崩れ雨と雷が交じると言ってたではないか。なんともあてにならないのが天気予報か、それとも山の天気は変わりやすいのか。

 大阪からの撮影スタッフ3人はというと、紀伊半島のこの山深い場所に足を入れられて喜んでいる様子だ。「もっと南のほうで、白浜あたりで撮影してくれてもよかったんですが」とポロリ本音が。


 (あらぎ島を眼下に。右は松坂ひでき県議。有田川町議・増谷憲さん撮影)




 



 

 

 
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by hara-yasuhisa | 2012-09-16 20:22 | Comments(0)

偲ぶ会

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 茂野さんと田端さん。

 お二人を偲ぶ会が昨日和歌山市で開かれ参加した。茂野さんは24年間、田端さんは2年間、和歌山県党の委員長をされた方だ。茂野さんが委員長の時代は田端さんが副委員長を務めていたわけで、お二人ともいわば戦後の和歌山県党の顔だ。

 時代をさかのぼるが、戦前の和歌山県での党の活動、とりわけ紀伊半島の南部での活動について、かつて詳しく調べたことがあった。天皇制権力の治安維持法下の非合法時代のこととて、詳しいことはなかなか調べられないが参考になる文献も入手できた。

 僕の知りうる限りでは、戦後ふるさとの白浜町富田にもどり長く町議をされていた小山富造さんが南紀州でのもっとも古い日本共産党員である。小山さんがまだお元気な頃にいろんな話を聞かせてもらったが、大阪中ノ島で入党したのは1928年と話されていた。文化人でもあった小山さんは宮本百合子の直筆の色紙も大切にもっていた。

 偲ぶ会で印南町の吉岡由助さんに会った。84才だという。宮崎からは、田端さんのあと県委員長をされた黒木さんも来られあいさつをされた。

 ともあれ、茂野さんも田端さんも僕にとっては親子ほどの年齢差があり、折に触れてさまざまなことで教えてもらった。茂野さんからは党建設の、田端さんからは選挙闘争のことなど詳しく教えられたことが懐かしく思い出される。

 


 
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by hara-yasuhisa | 2012-09-16 07:20 | Comments(2)


折ふしのうた


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