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 炭坑節

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 「かれこれ50年近くになる”新春のつどい”」だと、主催者あいさつで杉原ひろのり新宮市議が言った。ぼくも幾度となくこの新春のつどいに参加している。市長の田岡実千年さんと市議会議長の辻本宏さんが来賓で見えてくれた。

 南紀州最大の街・新宮市。大逆事件でも有名だし、速玉大社があり、ゆかりのある有名な作家も多く輩出している文化や歴史の香が残る街。神倉山に登り見おろす新宮の市街は、晴れた日にはまばゆい紺碧の熊野灘に突き刺さっているかのようだ。

 この「新春のつどい」では炭坑節をみんなで踊る。この南紀州一帯の炭鉱で労働者たちのたたかいがはげしく燃え上がった頃の名残なんだろう。炭鉱労働者から共産党の那智勝浦町議、熊野川町議になった人たちもいた。

 終了の夕刻になって一気に気温が下がった。後片付けのあと、支部の方と参加者を自宅に訪ねると、数人が入党してくれた。ある方が「炭坑節には思い出があるねえ」と言っていた。どんな思い出を超えていままで来たのか、ゆっくりと話を聞いてみたい夕暮れだった。

 
 
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by hara-yasuhisa | 2014-01-27 15:17 | Comments(0)

 この半島のクマ

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 紀伊半島のクマについて、以前にも少し書いた。

 植林された針葉樹がほとんどの山には動物たちの食料はない。クマはドングリなどを食べる。食べ物を求めてクマは必死で移動するが、クマの爪でひっかかれた杉などはもう木材としては売れないという。だから、クマは林業家にとっては敵だ。

 和歌山県はクマの駆除はゼロだと発表しているが、それは届けがないだけで実際には殺されている。野生動物たちが農作物に被害を与えているが、政府のやり方はクマにせよその他の動物にせよ殺すことしか考えていない。

 かつて豊かだった紀伊半島の自然。その豊かな環境に育まれて、人々も動植物たちも数百年、数千年と生きていた。わずか数十年の間に、この半島の山を破壊し、それゆえに川も海も荒らしてきたのは誰なのか。

 そんな折り、自然の森がもう少ない紀伊半島で、落葉広葉樹林と照葉樹林とをうまく移動し生きている三重県の健気なクマの報道があったが、考えさせられた。

 約200頭という紀伊半島のクマたちが生き残れる自然環境はもうほとんど残されていない、と専門家はいう。食べ物がなく餓死した数頭のクマの胃は空っぽだった、という報道もあった。
 この国では、人も動物も餓死があとを絶たない。
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by hara-yasuhisa | 2014-01-19 21:17 | Comments(0)

 成人式


 「成人式」のニュースを見ながら考えた。

 なぜ20歳なのか? 明治9年の「太政官布告」で税金や兵役の年齢を20歳からとしたらしい。その頃は、日本では15歳が成人とされていたが、欧米では21歳~25くらいだったので、なにしろ「文明開化」だから、見習って20歳としたようだ。

 だが、実は日本は世界的に見るとマイナーだ。世界では選挙権年齢18歳が154ヶ国(全体の8割)。20歳は日本など7ヶ国だけ。世界でも、はじめから18歳だったわけでなく、1970年代の学生運動などのたたかいによって広がった。

 婚姻の年齢を考えてみよう。日本では男性は18歳、女性は16歳でできる。だけど「成人」は20歳。この齟齬(そご)、ちぐはぐをどう考えるべきなのか。

 義務教育が終わり、親から独立し「社会人」の生活を営んでいる「未成年」の人も多くいる。稀(まれ)だが結婚をして子どもを養っている「未成年」もいる。所得税や事業税などを収めている「未成年」も多くいる。


  彼ら、彼女らは、しかし20歳になってないという理由で選挙権がない。
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by hara-yasuhisa | 2014-01-13 13:46 | Comments(0)

 川

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川のように生きよう
乾くことのない流れに
人生を重ねて
泥に汚れないように
新鮮な流れでありたい
新しい純粋な水が流れ
幾多の驚きと出逢いながら
まっすぐに海へと向かおう


いつだって流れていなさい
流れる喜びを味わいなさい
なにを恐れることがあろう
自分をよどませてはいけない
絶えることのない流れが
新しい生命を生み出してゆく
幾多の仲間たちと合流しよう
まっすぐに明日へと向かおう
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by hara-yasuhisa | 2014-01-11 14:20 | Comments(0)

 核兵器とさよならした国


 この国に関心をもったきっかけは、核兵器を保有していながら自ら核廃絶した世界でたった一つの国だからだ。「こんな国があるんだあ、すごいなあ」と、当時思った。

 その南アフリカ共和国のネルソン・マンデラ元大統領が亡くなったが、彼が南ア共産党の党員だったことを最近の報道で初めて知った。

 少数派の白人が国を支配する「アパルトヘイト」(人種差別)が、国民の長きにわたってのたたかいで打倒された南ア。そのたたかいの主力だったのがアフリカ民族会議。共産党はこの組織の中心勢力だ。

 人口は約5000万人で日本のおよそ半分。共産党員は6万人だという。政府にも複数の閣僚を出している与党のひとつだ。南ア共産党は「南アにおける社会主義への道」をかかげて活動している。
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by hara-yasuhisa | 2014-01-10 11:30 | Comments(0)

 神川町碇

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 熊野市役所近く。談笑する老人男女に「ちょっと道を尋ねたいんですが。いかり(碇)へはどう行けばいいですか?」と聞いた。

 女性の方が「食堂の名前かあ?」というので、「土地の名前です」というと、隣の男性が「そんなとこはないよ」との返事だった。

 地元の人とて知らない山奥だ。三重県熊野市神川(かみかわ)町碇を訪ねた。何年かに一度はぶらっと行ってみたくなる。いまはもう、たった1軒の家(うち)しかない。だが、紀伊半島のなかでいわばマイベストのひとつが、ここ碇の風景だ。

 「紀伊続風土記」には次のようにある。「神上(かうのうへ)。西山郷七色村東南二十余町の所にあり。村内を流るるは神上川にして、南方西山郷粉所村と日暮峠を隔てて相対す」

 南紀州の山奥。ほんの小さな盆地なのだが、行けばその上のにぎやかだった頃の人々の話し声が静寂をこえて聞こえてきそうな懐かしく、泣きたくなるようなたたずまい。

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by hara-yasuhisa | 2014-01-02 20:00 | Comments(0)

 母の書きなぐり

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 92歳になる母が戦後の早い時期に書きなぐったものを発見した。60数年前のもので鉛筆書きだから判別しにくい箇所もあったが、ほぼ忠実に書き写した。以下、そのまま載せます。



 昭和18年。
 20歳で原家の人となり、田植え時には3時に起床。まず牛に餌をやり、姑とさらに古い姑との二人いたので、古い姑に子どもを見てもらい田植えに出たのだ。素足で一日中田んぼの中にいるのはほんまに辛かった。

 家の田植えがすめば、次には富田方面に近所から多勢連れ立って雇われ田植えに行った。田植えの日当は600円だった。昼は田植え、夜は藁(わら)仕事。夜に仕事がないのは夏場だけだった。男は石山の仕事しかなくそれで生活しないといけない。女は田植えがすめば畑で芋を植え、野菜を植え、牛の草刈りと、いま思えば百姓の女は働き通しだった。

 昭和19年に入ってからは戦争が激しくなり、近所のおいやんに手伝ってもらい裏の山に防空壕を掘った。艦載機が毎日のように安久川の沖からやってきた。B29が頭上を飛んで大阪方面にゆく。その度に防空壕に入った。艦載機の爆弾に当たって白浜口の駅前で一人死んだこともあった。牛が哭き、鶏も鳴きさがした。

 B29が飛ぶコースは毎日決まっていた。大阪からの帰りには家の奥の山の上を飛び、安久川方面へと帰っていった。終戦間近のころになると、艦載機はよく低空で飛んだ。山で仕事をしているときなどは、飛行機の中の人が見えるほどだった。

 終戦までは姿を隠しながら田に出たり畑に出たりして働いた。昭和20年の8月15日の夕方、消防団の人が来た。何かと思ったら、今晩から電気をつけてもええでと言われた。ほんまに嬉しかった。戦争に負けたことより、毎晩灯をともせることが何より嬉しかった。

 戦争中はまともな薬などもなく、風を引いてもシジミの汁をのんで直せといわれた。百姓に嫁いだおかげで麦ごはんやおかいさんは食べられた。現金がないから豆腐一丁買えなかったし、配給でイワシがたまにあったが、それでもみんなあまり病気にかからなかった。肉などは食べたこともなかった。

 野菜やお茶は畑でいっぱい作っていたので、近所の人に分けてあげたりした。毎日毎日、食べることで精一杯で戦争の雲行きなどまるで知らなかった。
 主人は出征してから3ヶ月間は便りがなかった。その後、朝鮮から元気だとの便りがきた。戦争が激しくなり便りが途絶えた。姑は、もうどこかで死んでるんと違うんかと、いつもそう言っていた。

 その主人が満州から戻り、さっき田辺の文里湾に着いたと役場の人が知らせてくれた。鉄道を歩いて帰って来ていると聞かされた。昭和21年の夏のことで、終戦から1年経ったころだった。


 (戦後間もない頃の我が家のほぼ全景。向かいの山の中腹から写したもの)
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by hara-yasuhisa | 2014-01-01 23:07 | Comments(0)


折ふしのうた


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