風にふかれて

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 ♪学生でにぎやかなこの店の 片すみで聴いていたボブ・ディラン♪  
懐かしい曲がラジオから流れている。河原町今出川界隈の喫茶店で、PPMの歌う「風にふかれて」を聴いたのは遠いむかしのこと。

 彼がこの曲を作ったのは20歳のとき。60年代から70年代へと、ベトナム反戦運動の国際的な広がりとともに世界中で歌われ、いまも歌われている。抒情をおびた反戦の芸術である。

 ストックホルムの「ノーベル文学賞」選考委員会がことしの受賞者にボブ・ディランを選んだ。この賞そのものには、過去からいくつかの問題も言われているが、このタイミングでのボブ・ディランの受賞には意味がこめられていると、そんなことを思った。

 75歳になる老シンガーご本人が受賞をどう思っているのかは知らないが、メロディや詩そのものが持つ魅力が引き寄せたんだろう。今宵、ほんとに久しぶりに「風にふかれて」を聴いている。




 (写真・東紀州の海岸)
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# by hara-yasuhisa | 2016-10-14 22:22 | Comments(0)

 うろこ雲

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  見あげると
  街の空に
  この秋はじめて見るうろこ雲
  ・・・
  へんなくもあると
  お前は空を見ながら言った
  うろこ雲っていうてな
  秋や冬になったら出る雲や
  保育園への道で
  きっと
  今朝のように透きとおった風がふき
  すこし冷ひんやりする空気を
  お前は小さな頬に感じていた
  こんな
  うろこ雲を見ると
  あの頃のお前のことを思い出す




(朝、見上げるとうろこ雲がありシャッターをきった)
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# by hara-yasuhisa | 2016-10-11 12:43 | Comments(0)

 響きあい

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 ある方が印象的な発言をされた。「そやけど、なんでこあいに木材がアカンようになってしもうたんなよ」と、ぽつりと言われた。他の方が発言されている合間に発せられた意見だったので、その場のテーマにはならなかった。

 議論が一息ついたところで、ぼくはドイツの林業が戦後どう発展してきたのか、国づくりの根本に林業をすえてきたドイツのとの比較で日本の林業切りすて政治のひどさを話し、日本共産党が林業をどう考えているかを説明させてもらった。

 町議の洞よしかずさんは、地域の仕事起こしにと取り組んでいる「ゴンパチ(イタドリともスカンポともいう)栽培」について、先進地を視察してきたことなど熱く語った。農業の問題に話が進み、深刻な獣害や、農協のあり方でも活発な意見が出された。

 「つどい」には8人が来てくれた(この集落は戸数48)。 帰ろうと車を動かそうとしたときに一人の参加者から声をかけられた。「もう一回寄り合い開いてくれんの。共産党の話もっと聞かせておくれ」と。うれしかった。ああ、響きあったなあと思った。

 (写真・盛り上がった「つどい」と、 帰りみちの峠から熊野灘を望む)
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# by hara-yasuhisa | 2016-08-24 20:29 | Comments(0)

 息子の死

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 さる5月15日未明、息子・悠矢(ゆうや)が息を引きとった。35才の誕生日を迎えた矢先のことだった。通夜・告別式では、勤務先の和歌山市消防局のみなさんや高校野球時代からの仲間のみなさんから大きなお力添えをいただいた。800人の方々が通夜と告別式にお出でくださった。深くお礼を申し上げます。

 悪性の脳腫瘍を発病したと聞かされたのが3年余り前。以来、本人と家族は不安と辛さのなかに投げ込まれた。手術は成功したものの腫瘍は約9割しか摘出できず、医師からは再発すると告知されていた。

 高校野球のときの仲間たちが全員かけつけてくれた。マネージャーの1人が、「あまりにも早すぎるわ」と遺体に語りかけていたが、ゆうやはゆうやなりの密度の濃い人生を駆け、逝ってしまった。

 手術から3年、再発して以後のこの約ひと月間、入院先の和歌山医大のドクターや看護師のみなさん、駆けつけて見舞ってくださった100人を超える大勢のみなさんに、心からお礼を申し上げます。

 告別式をすませた翌朝、世界はいままでとまるで違ったものに見えた。街の風景がまるでモノトーンのような色合いになっていた。こんな色合いで眼に映る風景、60年余り生きてきてはじめて経験するものだった。

 ゆうやがいた世界とは明らかに別の世界に来たんだなと、あるいはゆうやのいるところからは世界はこんな色で見えているんだろうかと、そんなことを思ったりもした。
 
(ある日の病室で詠う)
  窓ごしの群雨(むらさめ)やんで雫(しずく)落つ ゆうやの胸に生くる熱あれ


 ( 写真・ まだ元気だったころ、私の還暦祝いにと永平寺から妙心寺に遊んだ日 )
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# by hara-yasuhisa | 2016-05-20 08:33 | Comments(2)

過疎の町での「つどい」

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 はじめてその清流を目にしたとき言葉を失った。あまりの透明さゆえに、そこに水が流れているのが分から なかったのだ。こんなに美しい川があったのかと、わが目を疑ったことをはっきり覚えている。この小川(こがわ)という名の川は、およそ15キロを流れて本流の古座川にそそぐ紀伊半島屈指の清流だ。かつては林業と木材で栄えた12000人の町は、いま人口2900人で過疎に悩んでいる。

 その古座川町にある42の区(集落)で、「日本共産党と語り合うつどい」を実施したいと支部長の洞佳和(ほらよしかず)さんから聞かされ「手伝ってほしい」と頼まれたときは、「ええでえ」と軽く引き受けたものだった。2013年夏の、前回の参議院選挙をめざす頃のことだ。

 戸数が2~3戸という区もあり、それら4つの区をまとめて開いたところもあった。月に1回の開催だが参加者がゼロや1人のときもあり、そんなときはくじけそうになって洞さんと二人で肩を落としたりもした。
 しかし、場所によっては「自民党のポスターを貼ってまわった(2012年衆院選挙)」という現役の自民党員のおやじさんや、「自民党に入党したんやけど出席させてもらってもよろしいか」と、会場の入り口でそうことわりながら参加してくれた町議さんもいた。こうなると懇談が面白くなってくる。

 5ヶ所、6ヶ所、7ヶ所と「つどい」の回数がふえてゆくのに比例して、共産党が何やら寄り合いをやっているようだとの噂が谷々の集落に広がっていった。「うちではいつ開いてくれるんな」との問い合わせも来た。「ここは人がなかなか寄らんとこや。わしも呼び込みしたるわ」と手伝ってくれる区長さんも一人や二人ではなかった。こうして、共産党の「つどい」が町のそこここで市民権を得ていった。

 その「つどい」も今月で38回目を数え、これで42のすべての区で実施することになる。これまでの参加者は150人を超える。この3年間、「つどい」に参加してくれた方々が党の路線や理念に共感して党員になってくれた人、また「しんぶん赤旗」読者になってくれた人は、それぞれ両手ではとても足りない。

 林業で成り立っていた町だけに林業再生へたくさんの要望が出されるし、高齢化率も県下1番の町だから日々の暮らしや福祉の要望もたくさん出される。さっそく党支部として町と交渉して解決したこともいくつもある。「つどい」のとりくみを通じて600人を超える住民と対話した。そこで出された数々の要望をもって、この6月、洞さんは町議選挙に挑み空白議席の克服をめざす。
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# by hara-yasuhisa | 2016-04-13 09:52 | Comments(0)

 カストロとルソー

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 テレビから流れるオバマ大統領とカストロ議長の会談の様子。注意深く見ていると、テレビによくあることだが、浅薄勝手な解釈で様子を説明している。
 
 それはともかく、フィデル・カストロ(いまの議長の実兄)の名を聞けばルソーの「社会契約論」を思い出す。若きカストロがいつも持ち歩いて読んでいたと、この話はあまりにも有名で、それでこの本のページを開いた人も多いのでは。

 そこには、いうまでもなく「自由」と「平等」の理想社会が掲げられていた。目と鼻の先にフロリダ半島がある。アメリカの庭先で、弁護士のカストロや医師のゲバラたちがカリブで誕生した社会主義を守り、国の経済基盤の建設にあたったが、あまたの試練につぐ試練だったろう。

 四面楚歌の状況でも、カストロの胸にあったのは国民の「自由」と「平等」ではなかったかと、僕は勝手に想像している。貧困をなくすために全力をあげたカストロたちは教育と医療を世界の最高峰に押し上げた。特権階級の存在を耳にしないキューバ。

 それを思うとき、僕はいつもルソーの本を持ち歩いていた若いカストロの姿を思い出すのだ。
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# by hara-yasuhisa | 2016-03-23 11:59 | Comments(0)

 春一番が吹くころ

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 すぐそこに春が来ているのか、それともまだ少し先なのか、そんなこの季節に多喜二の命日がめぐってくる。その日も、きっと冷たい風が吹いていたんだろう。この季節には、決まって多喜二などあの時代を生きた人々に思いが向かう。

 多喜二の盟友だった宮本顕治元議長の若い日の著作・「『敗北』の文学」は、芥川龍之介その人、また作品の階級性を論じた秀作だ。僕は20歳になるかならないかのある日、初めてこれを読んだが、そのときの驚愕と感動はいまも忘れられない。

 その宮本顕治元議長は後年、「運命のめぐりごとによって、私自身はまだ満25歳ぐらいではからずも歴史の重責を負わされ、悪戦苦闘したというのがいつわらざる心境であった。しかし、それでも日本共産党員の道を選んだ大義を、どんな迫害の中でも貫こうという原点を獄中でも保ちつづけることができた。「『敗北』の文学」の結びの言葉―「『敗北』の文学を―その階級的土壌をわれわれは踏み越えて往かねばならない」ということばを自分は実践することができたと、獄中のある日、心の中でつぶやいたことを今も記憶している」と書いている。

 多喜二もきっとこの立場で文学に向かっていたんだろうと、僕は思う。1933年2月20日、多喜二は東京・築地署で逮捕され、その日のうちに殺された。29歳だった。特高警察の死に至るまでの拷問を受けながら、なぜ多喜二は多くの文学者のように転向声明を出さなかったのだろうかと、僕は若いころ考えた。

 芥川を崇拝し、その作品に感嘆し、それからトルストイやショーロホフに感動し、これから本格的に文学と格闘したかったはずなのに。逮捕され、命そのものを消されてしまおうとしているときに、多喜二は魂を売らず、その死とひきかえにいったい何を守ろうとしたのか。

 多喜二の小説に、「3・15大弾圧」での警察の拷問を生々しく暴いた「1928年3月15日」がある。国家権力の醜い本質を描き出したがゆえに、多喜二は特別に憎悪され、また恐れられた。その多喜二だけではなく、治安維持法による虐殺は65人に上る。虐待やそれがもとでの病気などの獄死が1600人を超えている。

 宮本顕治元議長葬儀(07年8月6日)での中央委員会弔辞(不破哲三さん)のなかに次のようなくだりがある。
 「宮本さんが、逮捕後、裁判での公式の陳述はするが、密室での予審にはいっさい応じないという原則をつらぬき、予審を完全黙秘で通したことは、戦後入党したばかりの若い私たちのあいだでもよく知られた語り草となっていました。その獄中で腸結核にかかり生命も危ぶまれたとき、やってきた検事が『沈黙したまま死んだら真実が残らなくなる、調書さえ取れば病院で死なせてやる』と説得したが、それも拒否したという話も聞きました。後年、私がその時の心境を尋ねたとき、返ってきた言葉は『後世を信じたよ』と、実に感動的な一言だったことを強く覚えています」

 後世を信じた― このひとことにすべての想いが込められている。若かった多喜二は、小樽へ文芸講演にきた芥川龍之介のあとを追いかけた。「芸術は民衆の中に必ず種子を残す」という芥川の思想に動かされた多喜二は、やがて科学的社会主義と出逢い、良心の声に動かされ「非合法」の党に加わり、真理の探究者としての道にふみ出した。

 「1928年3月15日』のなかに、空になった小樽の留置場の壁に『3月15日を忘れるな!』『日本共産党万歳!』という文字があちこちに刻まれているとのくだりがある。多喜二は歴史を傍観しなかった。拷問の死の恐怖のなかにあっても、多喜二は自分の文学の自由を守ろうとした。仲間を信じ、未来を信じ、多喜二は未来を生きていた。

 春一番が数日前に吹き荒れた。あの死から80年余が過ぎるが、多喜二はいまも生きていると、ほんとうにそう思う。










 
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# by hara-yasuhisa | 2016-02-24 09:44 | Comments(0)


折ふしのうた


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