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読者からのメール

 短編小説『日置川』(「民主文学」24/11月号掲載)を読んだという方からメールをいただいた。この方は、ぼくの最初の長編小説『南紀州』3部作を読んでくれている方でした。で、「とにかく南紀州の風景、自然、風土の描き方がいい。そこに行って、実際に自分の脚で大地に立って眺めているような気分にさせられる」、これが一番の感想だと書いてくれていた。

 さらに、少女・流里(主人公)の「援助交際」について、「読み手によって受けとめは違うのでしょうが、リストカットのように自分で自分を傷つける行為ではないか」と思ったと、そう感想をのべていました。ここは作者の意図とは違っているのですが、感想は多様にあっていいので、なるほどそういう考えもありうるなあと思いました。

 また、「祥賀谷さんの作品に共通していますが、どれも文章に透明感があり美しいと思った」とありました。そして、「60枚ほどの作品ですが、長編小説に書き直したらもっと奥ゆきやふくらみが出ていいのではないでしょうか。短編では流里の人間的な葛藤、そこからの脱出と飛躍などが描き切れないのではないでしょうか」と、結ばれていた。これはぼくも感じていたことなので、やはりなあと思った次第です。

 ともあれ、これまで出版されている6つの小説には奥付にメアドを載せているので、それぞれたくさんの方々から感想が寄せられています。そのすべてをぼくはくり返し読み、考えるのが常となっています。いい評価であれ、わるい評価であれ、次作への糧となるからです。
 

# by hara-yasuhisa | 2025-02-02 10:42

小説『新鹿の浜辺』へのメール


 小説『新鹿の浜辺で』を読んだと、新鹿在住の方からのお便りが届きました。

 そのメールには、新鹿で生まれ育ち、高校のときの同級生と結ばれ、その後、都会で暮らして、退職後にふるさとに戻ったと書かれていました。

 熊野市の図書館でわたしの小説を見つけ、一気に読んで、その感動でメールを送ってくれたとありました。

 

 わたしの小説には、奥付にメールアドレスを書いていますので、読んでくれた方から時おりメールが届きます。この度の方は、小説の舞台となっている新鹿の方ということで、わたしにとっても新鮮な嬉しさがありました。

 「一つひとつのことが、まるで我が事のようです。それにしても、余りにも美しい青春であると同時に、余りにも辛い青春です!」と、感想を締めくくってくれています。  とくに、「我が事のようで」との件には、わたしの方が感動しました。

 小説を書く者ならだれでもそうだと思いますが、いつも、これでいいだろうか、もっと違った表現があるのじゃないだろうかと、迷い道をゆきながら書いています。なので、この方のような感想はほんとに励みになるのです。感謝です。

 


# by hara-yasuhisa | 2024-02-11 14:03

熊野の美しさ

やっと感染症爆発(パンデミック)が下火になり、熊野古道に海外からの人びとが戻ってきている。先日、とある仕舞屋(しもたや)の前に欧州人らしい女性が傘をさして佇み、わたしの車に親指を立てていた。冷たい雨が降っていて、わたしは彼女の傍らに車を停め、どこまで行くのですかと英語で尋ねた。すると彼女は、ユノミネ、ユノミネとだけ日本語で答えた。どうぞ乗ってくださいと言うと、彼女は助手席に乗ってきた。

走り出して、どこの国の方かと訊くとフランスのパリからの旅行者で、ゲストハウスに滞在しているという。日本語は話せず、お互い片言の英語だ。彼女は、スペインの歴史の道にも行ったが熊野古道ほど美しい道は他にはないと言う。お世辞だろうと思ったが、話しているうちにほんとうにそう思っていることが分かった。

山が様々な緑に彩られていて、こんなに変化に富む素敵な緑はどこにもないと彼女は言うのだった。パリでデザイナーの仕事をしており、色彩については一家言をもっていると、そう言われてわたしはV字型に迫る左右の山を見た。さればである、それぞれの木にはそれぞれに固有の緑がある。陽のひかりが透けるような淡く柔らかな緑葉もあれば、濃い緑もある、黄色も紅色だってある。それらに囲まれて暮らしていると、彩の豊かさを見落としているのだ。

湯の峰へ通じる山間の道端に白い山百合がいまを盛りとばかりに咲き、それが雨に打たれている。彼女の名はアリシア、31歳だった。美しい響きの名前ですねというと、アリガトウと言い、でもこのユリの花のほうがずっときれいだと微笑んだ。彼女は日本が好きで各地を旅したが、紀伊半島には独特の山と川と海の美しさがあるという。フランスにはこの熊野のような山はないし、こんな透明な水が流れる人里もないと、谷川を指さした。

東京のような近代都市の美は世界の各地にあるが、熊野の自然の美しさはよその国にはない独特のものだと言う。彼女は、古道だけでなく熊野の自然そのものが世界遺産だと言うのだった。その言葉を聞きながら、欧米からたくさんの人びとがやってくる理由もそのあたりにあるのだろうと思ったりした。だが、山々が荒れ、熊野の大地が急速に壊れている現実が一方にある。江戸時代の終りまで、紀州藩によって熊野の山々は高度な森林管理が行われていた。海の漁場を保護する魚付林までもが組織的に管理されていたのだから驚く。


湯の峰温泉の駐車場でアリシアと別れた。そこから渡瀬温泉へむかう山道で、無惨に放置された倒木をいくつも見かけた。熊野川に出ると、三重県側の山の稜線の上に灰色の雲が重くかぶさり、雨はまだ止む気配がなかった。



# by hara-yasuhisa | 2024-02-04 13:20

臨済宗妙心寺派泉昌寺

臨済宗妙心寺派泉昌寺_e0258208_10521102.jpg




山々にかこまれた相野谷(おのだに)は車の行き来とてすくなく、道を尋ねるにも人影さえない静かな里だった。晩夏とはいえ、湿度の高いきのうはすこし歩くと汗が吹きだしてくる。めざす阪松原の集落は山ふところに抱かれるように、すこし傾斜のある土地に十数軒の家々が点在するのどかなところだった。すこし小高いところにその小さなお寺はあった。

臨済宗妙心寺派泉昌寺。留守居僧だった25歳の峰尾節堂は踏みこんできた新宮警察の刑事によって「大逆事件」に連座したとして逮捕され、ふたたびこの地に帰ってくることはなかった。あとには若い妻ノブだけが残された。1910年6月のある朝のことだ。

畑で農作業をしていた女性に声をかけると、「和尚はおらんで」という。「知ってます。峰尾節堂のいたお寺を確かめにきたんです」というと、「ああ、昔の事件やねえ」と返してくれた。


小さなお寺であるがきれいに掃除がされている。檀家は40数軒とのことだが、近所で尋ねると当番をきめて毎月掃除を欠かさないとのことだ。新宮のドクトル大石と交友し社会主義の書物を読んでいた、それが死刑の罪になった。

峰尾節堂「死刑」の判決に臨済宗妙心寺派は彼を宗門から永久追放する。節堂はその後、獄中で病死する。権力にすり寄った妙心寺派が節堂の名誉回復の措置をとったのは事件から86年もたった1996年。「あまりにも遅すぎる」と妙心寺派総務総長は百回忌にあたって懺悔の挨拶をした

 汗をぬぐいながらすぐには泉昌寺を立ち去りがたく境内から静かな農村の風景を眺めていると、このお寺で25歳の節堂が妻ノブと過ごしていた様子が浮かんでくる。ノブはその後、知人を頼って京都に逃れたらしいが消息はだれも知らないという。


# by hara-yasuhisa | 2023-09-17 10:38

小説の意義

なにも小説に限ったことではないが、芸術の作者はいつも「表現せずにはいられない」「書かずにはいられない」テーマがあって作品を創る。そのテーマが多くの人たちとは無縁のものなら作者だけの情熱表現で終わるし、そうでないなら多くの人の心に残る。


小説は、と大上段に構えることもないが、読者にとってはほんとに必要なもので、一片(ひとひら)の小説には、現実の生活よりももっと生の現実があるものだし、人の感情や心理の裏表があり、さらに絶望や、また希望があるものだ。

芸術的価値だけで小説が必要とされていた時代からすると、いまの世はそうではなくて、芸術的価値がなくても他の価値があるものなら認められる。あまたある文芸誌やネット文芸の反乱を見ればそれは明らかだ。


昔、正宗白鳥が「小説とは面白いものだ。何十年と小説を読んでいるがそれでも厭きない」と言ったことがある。読者にとってはきっとそうなのだと思う。小説に限ったことではない。音楽でも「表現しないではいられない」ところから生み出されたものは人を惹きつける魅力と価値がある。


最近のあれこれの文学賞作品を読んでいると、「手練れの作品やなあー」と思うものがほんとに数多い。特に最近は「表現の自由」という旗印があり、書かれ方も自由奔放、奇天烈なものも目につく。作者が作家的良心をもっていないような場合でも、商品としての価値があれば話題になる時代だ。


人間にはどうも「低俗卑賎」を覗き見たい癖があるのか、そういう作品も多い。などと言うと読者から嫌がられるだろうか。「小説には良い小説と悪い小説とがあるだけだ」と、かつて高名な作家が言っていたが、ほんとにそうだと思う。

その意味からすると、良い小説は純文学に多くて大衆文学に少ない、と一概には言えない。言えないが、「書かずにはいられない」テーマを読者に呼びかけたい、ただそれだけだという芸術的良心、情熱をもった作品が少なくなった気がする。


太宰治が芥川賞の受賞から外されたとき、選考委員の川端康成に噛みついた話は有名だ。芥川賞を狙って書いた太宰治は芸術的情熱よりも、売れる作家になりたいという欲求が優っていたのだろう。などと書くと太宰ファンに非難されそうだが、本人が言っていることだ。


 小説は、人の運命のなかから、その人の生活や諸々の混沌のなかから、その人を通して現れる知的な進路を描き出す営みだ。言い換えると、文学作品には読者の認識の発展、またそれによる感動がないといけない。どんな種類の小説であれ、小説はいつでも人間の追求だし、人間の真実を探求する営みだと思う。


# by hara-yasuhisa | 2023-09-06 15:50


折ふしのうた


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