世界の海で生きてきた彼
読者からのメール
小説『新鹿の浜辺』へのメール
そのメールには、新鹿で生まれ育ち、高校のときの同級生と結ばれ、その後、都会で暮らして、退職後にふるさとに戻ったと書かれていました。
熊野市の図書館でわたしの小説を見つけ、一気に読んで、その感動でメールを送ってくれたとありました。
わたしの小説には、奥付にメールアドレスを書いていますので、読んでくれた方から時おりメールが届きます。この度の方は、小説の舞台となっている新鹿の方ということで、わたしにとっても新鮮な嬉しさがありました。
「一つひとつのことが、まるで我が事のようです。それにしても、余りにも美しい青春であると同時に、余りにも辛い青春です!」と、感想を締めくくってくれています。 とくに、「我が事のようで」との件には、わたしの方が感動しました。
小説を書く者ならだれでもそうだと思いますが、いつも、これでいいだろうか、もっと違った表現があるのじゃないだろうかと、迷い道をゆきながら書いています。なので、この方のような感想はほんとに励みになるのです。感謝です。
熊野の美しさ
やっと感染症爆発(パンデミック)が下火になり、熊野古道に海外からの人びとが戻ってきている。先日、とある仕舞屋(しもたや)の前に欧州人らしい女性が傘をさして佇み、わたしの車に親指を立てていた。冷たい雨が降っていて、わたしは彼女の傍らに車を停め、どこまで行くのですかと英語で尋ねた。すると彼女は、ユノミネ、ユノミネとだけ日本語で答えた。どうぞ乗ってくださいと言うと、彼女は助手席に乗ってきた。
走り出して、どこの国の方かと訊くとフランスのパリからの旅行者で、ゲストハウスに滞在しているという。日本語は話せず、お互い片言の英語だ。彼女は、スペインの歴史の道にも行ったが熊野古道ほど美しい道は他にはないと言う。お世辞だろうと思ったが、話しているうちにほんとうにそう思っていることが分かった。
山が様々な緑に彩られていて、こんなに変化に富む素敵な緑はどこにもないと彼女は言うのだった。パリでデザイナーの仕事をしており、色彩については一家言をもっていると、そう言われてわたしはV字型に迫る左右の山を見た。さればである、それぞれの木にはそれぞれに固有の緑がある。陽のひかりが透けるような淡く柔らかな緑葉もあれば、濃い緑もある、黄色も紅色だってある。それらに囲まれて暮らしていると、彩の豊かさを見落としているのだ。
湯の峰へ通じる山間の道端に白い山百合がいまを盛りとばかりに咲き、それが雨に打たれている。彼女の名はアリシア、31歳だった。美しい響きの名前ですねというと、アリガトウと言い、でもこのユリの花のほうがずっときれいだと微笑んだ。彼女は日本が好きで各地を旅したが、紀伊半島には独特の山と川と海の美しさがあるという。フランスにはこの熊野のような山はないし、こんな透明な水が流れる人里もないと、谷川を指さした。
東京のような近代都市の美は世界の各地にあるが、熊野の自然の美しさはよその国にはない独特のものだと言う。彼女は、古道だけでなく熊野の自然そのものが世界遺産だと言うのだった。その言葉を聞きながら、欧米からたくさんの人びとがやってくる理由もそのあたりにあるのだろうと思ったりした。だが、山々が荒れ、熊野の大地が急速に壊れている現実が一方にある。江戸時代の終りまで、紀州藩によって熊野の山々は高度な森林管理が行われていた。海の漁場を保護する魚付林までもが組織的に管理されていたのだから驚く。
湯の峰温泉の駐車場でアリシアと別れた。そこから渡瀬温泉へむかう山道で、無惨に放置された倒木をいくつも見かけた。熊野川に出ると、三重県側の山の稜線の上に灰色の雲が重くかぶさり、雨はまだ止む気配がなかった。
臨済宗妙心寺派泉昌寺

山々にかこまれた相野谷(おのだに)は車の行き来とてすくなく、道を尋ねるにも人影さえない静かな里だった。晩夏とはいえ、湿度の高いきのうはすこし歩くと汗が吹きだしてくる。めざす阪松原の集落は山ふところに抱かれるように、すこし傾斜のある土地に十数軒の家々が点在するのどかなところだった。すこし小高いところにその小さなお寺はあった。
臨済宗妙心寺派泉昌寺。留守居僧だった25歳の峰尾節堂は踏みこんできた新宮警察の刑事によって「大逆事件」に連座したとして逮捕され、ふたたびこの地に帰ってくることはなかった。あとには若い妻ノブだけが残された。1910年6月のある朝のことだ。
畑で農作業をしていた女性に声をかけると、「和尚はおらんで」という。「知ってます。峰尾節堂のいたお寺を確かめにきたんです」というと、「ああ、昔の事件やねえ」と返してくれた。
小さなお寺であるがきれいに掃除がされている。檀家は40数軒とのことだが、近所で尋ねると当番をきめて毎月掃除を欠かさないとのことだ。新宮のドクトル大石と交友し社会主義の書物を読んでいた、それが死刑の罪になった。
峰尾節堂「死刑」の判決に臨済宗妙心寺派は彼を宗門から永久追放する。節堂はその後、獄中で病死する。権力にすり寄った妙心寺派が節堂の名誉回復の措置をとったのは事件から86年もたった1996年。「あまりにも遅すぎる」と妙心寺派総務総長は百回忌にあたって懺悔の挨拶をした。
汗をぬぐいながらすぐには泉昌寺を立ち去りがたく境内から静かな農村の風景を眺めていると、このお寺で25歳の節堂が妻ノブと過ごしていた様子が浮かんでくる。ノブはその後、知人を頼って京都に逃れたらしいが消息はだれも知らないという。

折ふしのうた
by hara-yasuhisa
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