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ミネルヴァの梟は夕闇とともに飛び立つ


いつの頃だったか、10数年前だったか、朝起きると庭の樹の太い枝に梟(フクロウ)がとまっていて驚いたことがあった。その梟だが、アイヌの人たちの守り神だということを最近知った。ローマ神話にミネルヴァという女神がいるらしい。この女神は、知恵や知識、技術の神で、その聖なる鳥が梟であり、梟は知恵の象徴とのことだ。

 かつて、哲学者ヘーゲルは「ミネルヴァの梟は夕闇とともに飛び立つ」と書いたのはあまりにも有名だ。哲学とはなにか、彼はそこでそれを説明している。

ヘーゲルは、「理性的なものの根本を究めること」が哲学だという。なんだか当たり前のことを言うてるなあと、最初はそう思った。それで、彼は哲学は現実より遅れて、事が終わったあとに現れるんだと、そんなことを言う。つまり、「ミネルヴァの梟は夕闇とともに飛び立つ」といって、そのことを説明している。なかなか知的な物言いだと感心した。

一つの事が終わったときに知恵や学問(哲学)はそれを総括する。古い知恵が夕闇(たそがれ)を迎えるときに梟は飛び立つ。いままでの古い束縛から解き放たれて、梟は新しい真理を求めて飛び立つ。

ミネルヴァの梟は、いつも瞳を輝かせて、知恵や知識を獲得してゆく。梟はけっこう忙しい。

新しい知恵や知識をたくさん獲得してゆくと、いままでの考えでは説明できない事、質的変化が現れてくる。だから、過去からの積み重ねがどれだけ大事かが分かる。

ミネルヴァの梟はいまどこにいるのか。




# by hara-yasuhisa | 2020-03-05 12:44

病室と『資本論』


 降って湧いたような発病と入院。
 病室のベッドで朝、昼、晩と合計6本の点滴をうけながら色々な思いが駆け巡っている。

 そのひとつにマルクスの『資本論』がある。退職してのちの一年半、ぼくの学習のほとんどは不破さんの導きをうけての『資本論』探求に注がれてきた。これまで何もやってこなかったわけではないが、系統的にとりくむ力も従ってまた余裕ももっていなかった。でも、これでは科学的社会主義の片隅にいる学徒ではあっても、やはり情けない。

 この思いに拍車をかけたのは、ハノイへと旧ソ連へのひとり旅だった。そこでぼくが見たものはひとことでいうと、「過渡期」にも入っていない現実だった。遅れた社会発展のレベルからこれらの国々がマルクスが展望した社会主義の初歩段階に踏みだすには、いったいどれほどの道のりを歩まなければならないのだろう、そういう思いだった。

 『資本論』を知れば知るほど、発達した資本主義国での社会変革の可能性についての思いが膨らんでゆく。第28回党大会の議案が世界情勢や未来社会論で科学的わり切りを決断したのは、こうしたこの1年半の『資本論』探求で育ってきた感覚とズバリ一致し、自身にとっても党にとってもそれはひとつの飛躍だと信じている。

 それにつけても思うことは、『資本論』という書物の奥深さ、科学的な眼の力、未来への確信・・・だ。ぼくの『資本論』探求はまだまだ続いてゆく。とはいえ、不破さんに教えられながらの道ではあるのだが。新刊の『資本論』が世界に広がってほしいと、そんなことを病室で考えている。

 

# by hara-yasuhisa | 2019-11-28 17:26

キエフひとり旅

キエフ、といっても知っている人は少ない。東欧、ロシアの南に位置する国だが中世以前から周辺から侵略をうけてきた、いわば過酷な歴史を刻んできた、東欧では有名な古都だ。

ぼくのキエフの旅は残り明日だけとなった。来た翌日におカネやカードや保険証などの入った財布を落としてしまうという不運から始まった旅だったが、得たものも多かった。それをハイライトでふり返ってみよう。


古い都ということで、たしかに通りを歩くと歴史の古さがそこここに見られる。石造りの建造物がたくさんあるし、道路だって石畳の道路があり風情がある。

さて、パリのド・ゴール空港はかなり大きい。キエフへの発着ロービーに移動すると、それまでとは明らかに違う女性たちが目立ってくる。むかし、ビートルズが「backin the USSR」で「ウクライナ女性は最高級、西側の国なんかまったく及ばない」と歌ったが、女性たちの美しさに驚いた。


この国はソ連邦が崩壊してから独立した国。だから、ほんとの意味で国の進路を自分たちで決められるようになってから30年も経っていない。でも、考えてみれば、日本だって国民主権の原則ができたのは74年前だから、よその国をどうこう言えない。

この国に関心を持つようになったのは、あの感動作・小説『静かなドン』読んで以後のことだ。それまでは気にもとめなかった。だが、一度は主人公グリゴーリーの生きた南ロシアの大地を実際に訪ね、自分の足で立ってみたいとの思いを若いころから持ち続けていた。


(1)関空からド・ゴール空港、そしてボリスポル空港へ

 エールフランスの機内は狭い。どちらかというと日本人の僕などは小柄な客だが、その僕でも窮屈でしんどい。あのやたらに体格のいい欧米人にとっては、このエコノミーの座席は狭すぎる。それを11時間もそこに座り続けるんだから、これはもう苦行だ。でも、あとでビジネスクラスの座席を見て、こんなに違うのかと呆れた。結局、カネかよ、気に入らん。

機内食はまあまあ。でも、だからといって無闇にがっついて食べるべきではないと、あとで気づくことになる。お腹一杯食べてまったく体を動かさないから、お腹がいつもと違ってくる。つまりあれだ、静止した状態だ。ぼくの場合、機内で2食し、さらにパリからキエフ間でまた1食した。これには参った。

ほんとは機内で寝るつもりだったが、あんなに座席が狭くてはなかなか眠れない。去年、ベトナム航空でハノイに行ったとき、CAはみんな若い女性と男性だった。しかし、エールフランスは男女とも若いCAはいない。それに日本からの便だからということで日本人のCAが二人乗っていた。これはいいことだ。

ド・ゴール空港からキエフのボリスポル空港までの飛行機は、かつてのYS11の大きさと同じで窮屈この上ない。それが十分予想されたからネットで座席指定するときに通路側をゲットしたのだった。

ところが、実際にその席に行くとえらく太ったおばさんがすでにどっかと座っていた。 「ん?ここはぼくの席ですが・・」というと、英語は通じない。そばにいた女性CAが「この3人は家族なんです、席を交代してあげてください」という。

いいですよと従ったものの、そのおばさんの席はぼくの一番嫌いな窓側の席だった。「ったくう!」だが、仕方なかった。結局、2時間は身動きできないままだった。

0時15分、深夜のボリスポル空港に降りた。荷物を受け取るとき、場所が分からずにウロウロしていた僕を呼び止めてくれたのは、ド・ゴール空港の出発ロビーで親しくなったキエフの女性だった。「荷物はこっちですよ」と、袖を引いて教えてくれた。お陰で助かった。


(2)キエフの秋

 「キエフの天気は急に変わります」と教えてくれたのはカフェのウエイター君だ。その通り、急に雨が降ったりする。

多分、夏場は陽差しがたっぷりとあり、その季節が観光にはいいんだろうが、そのシーズンは飛行機の運賃が倍の値段に跳ね上がり、ちょっと手が出ない。

首都キエフの秋は日々に深まっていく感じだ。街路樹が多いし、首都のなかに森も林もある。古い都だから歴史を感じる建物が林立している。

プラタナスの並木がずうっと植えられた広い歩道、等間隔に置かれたベンチ、腰かけるとヨーロッパの古都に来たという感じがする。日本人はほとんどいないキエフ。さまざまな出来事に出遭った。


日々の記憶(出発から帰国まで)

920 18:46  パリ、ド・ゴール空港。

エールフランスの機内にはパリにゆく日本人も多く、それにCAにも日本人がいる。でも、空港ロビーに出ると景色は一変した。日本語の響きがいっさいない。もう日本語には頼れない。乗り換えはどこに行けばいいのか、女性の係員に英語で尋ねてみると、通じた。フランス人は英語を嫌うと聞いていたが、そうでもない。

関空を10時半に発ったのだが時差のためにどれくらい空の上にいたのか分からなくなった。多分11時間あまりだろう。最後尾の通路側のシートをネットで取っていて正解だった。いちばん後にはお菓子も飲み物もいっぱいあり、CAが食べてねって言ってくれた。フランスのお菓子は美味しいことを知った。

ド・ゴール空港に降りる。キエフへの搭乗時刻まであと3時間半ある。とにかく眠い。それに寒い。

夕暮れの空から見るパリの街はそれまでの印象を塗りかえた。パリをとりまいていたのは広大な農地の豊かな表情だった。フランスの食糧自給率は世界でも有数だ。この国の人びとの農業を大事にする息づかいを感じた。

パリを発ってキエフのホテルに入ったのは深夜1時だった。フロントにいたYanaという名の女性が「遠くからお疲れさまでした」と迎えてくれた。写真をいっしょに撮ればよかったんだが、疲れと「時差ぼけ」でそれどころではなかった。

「時差ぼけ」ということを初めて体験した。この国に来てはじめて見る早朝のホテル窓からの景色。働く人びとが足早に行きかい、ふと見ると公園にホームレスの方がいる。戸外はもうだいぶ寒いのだが・・・。


921 15:02
英語が話せる若い世代と出遭うとほっとする。最低限の意思疎通ができる。それにこんなに寒い街だとは思っていなかった。これは失敗だ。上に羽織るものを持って来なかった。マフラーを持ってきたのは正解だったが、それでも寒い。

ネットで探して予約していた部屋はアパートメント24階で、小さなキッチンがついていて7泊して2万1千円と安い。文化の違いで「ん?」て思うこともあるが、まあそれは仕方がない。それにしても、この国の空は高く澄んでいる。


922 12:02

ダウンタウン(下町)に来てみた。
ショッピングモールに入り、寒いのでジャケットを買う。店員さんたちは誰も言葉が通じない。ジェスチャーしかない。ロングのジャケットだが高い。あとで知ったことなのだが消費税は20%、でも食料品には非課税で安い。

そのあとレストランに。
店の青年が、英語は話せるかと聞くので、安くて美味しい料理が食べたいと英語でいうと、彼は笑顔でOKという。野菜と魚も食べたいと言うと、任せてくれるかというからお任せした。味は抜群にいい。


922 15:03

笑顔は万国をこえる。

カフェに入る。ウエイトレスさんに微笑むと微笑み返してくれる。これで互いに心も微笑む。歴史があるのか、洒落た店内だ。東洋人が珍しいのだろう、みんな一度はチラ見してくる。「ノンクリー エン ノンシュガー、カフェメリカン」と注文。するとなんか分からんことをウクライナ語で言う。多分、分かりました、だろう。 このあと少し通りを漫(そぞ)ろ歩きをしてみよう。


922 16:59

とても恥ずかしいが・・・

何もかも入った財布を落としてしまったのだ。食事をして別のカフェに入りくつろぎ、そこを出てからだ。寒いから買ったロングジャケットの内ポケットから落ちたのだ。

カフェのウエイトレスと通りすがりの若いカップルが探すのを手伝ってくれたが、この街では落とした財布は出てきません、とのこと。呆然。

肩を落としているぼくに、アパートメントまでのタクシー代をそのウエイトレスが出してくれた。こんなに親切にされると泣けてくる。いい人はいるもんだ。

嘆いていても始まらない。これからどうするか? 
それにしてもクレジットカード、ユーロ紙幣、日本円で万札5枚、健康保険証、診察券などもろもろが入った財布やのに・・・。

ショックから立ち直れない! “人間(じんかん)至る処に青山あり” てか。


922 20:21

慌てふためいた一日が終わる。
とにかく一人旅につきもののハプニングなんだろう、何ごとも経験だし勉強になる。

落ち着いたことを言うのはまだ早い。あした大使館に行って顛末を話しておこうと思う。それから大学に行き旅の目的のひとつであるホメンコ先生と会わなければ。

バタバタした一日だったが、きょうも新しい出会いがあってつながりが広がった。アパートメントの部屋から眺める夜景がきれいだ。


923 7:51

忘れないうちに記(しる)しておこう。

この国は旧ソ連が崩壊してから独立を果たした国で、旅の目的の一つもその現実を見ることにある。

これは「資本論」を学習していて思い立ったことで、去年のハノイ行きもそれだった。当たり前のことだが、この国はいま混沌のなかにあるといっていい。

空港から首都中心部まで距離がある。タクシー運転手がぶっとばして走るので、これは高速道路かと聞くと「国内唯一の高速道路だ。距離はたったの20キロだ」と笑った。

すごい高級車で、「どこの国の車か」の問いに「ヤポン(日本)」という。日本の高級車とは無縁の自分、苦笑するしかない。

翌日わかったが、とばすのは高速道路だけじゃない、一般道もみんなぶっ飛ばす、それにシートベルトなんかほとんど締めていない。レンタカーを借りて街を走ろうと国際免許証も持参してきたのに、このスピードは恐ろしいと感じ、運転はやめた。

それからですね、マルクスは「美しい性」と女性を呼んだが、その意味をやっと知った。


923 19:15

きょうも盛り沢山で疲れた。

大使館などには昨日のようなことがないと足を踏み入れることはまずないだろう。日本の大使館なのに受付のおっさんはウクライナ語しか話さない。ま、それでも中に入って大使館員と話すと、こちらは丁寧に対応してくれた。スリが多いから気をつけてとのこと。これからキエフ大学に行くというと、歩いて40分ですという。日本語が懐かしかった。

大学まで何人の人に道を尋ねただろう。やっとたどり着いたが、入り口が無いのだ。さんざん探して小さなドアを見つけた。日本の大学とまるで違う。

そこからひと悶着あったがそれはいいとして、ローカで後から男子学生に「こんにちは」と日本語で声をかけられたので、「えっ、日本語やん」とふり返ると、「ぼく日本人です」と。大阪枚方の出で留学中とか。いきなり関西弁の話になって笑った。

隣の部屋で中国語の授業をしているというので、ええいっという感じでドアを開けてみると、いっせいに注目を浴びた。「ニイハオ」って何人かの男子学生が言うので、「違う、ぼくは日本人だ」と英語でいうと笑いにつつまれた。

結局、お目当ての先生は別の大学に行く日とのこと。そんなことで、ほどなくして大学を出たが、あの大学のキャンパスの香りというか雰囲気がぼくは好きだ。

相当疲れていたのでタクシーに乗ってダウンタウンに。昨日、タクシー代を出してくれたカフェに入り、立て替えてくれた代金を払い、そこで昼食をとった。

その後、ぶらぶらと散策をしながら待ち合わせの場所を探した。なかなか見つからなくてこまっていると、can I help you? という声がした。それが写真の女性で名前はDasha(ダーシャ)という。一緒に20分ほど歩いて探してくれた。ほんとにうれしかった。

【タクシードライバーと語る旧ソ連】

少し年配の人ならソ連時代を生きていて、さまざまな思いを抱いていることが分かる。ぼくは直さいに、ソ連時代といまとくらべてどっちがいいと尋ねてみた。この質問から色んなことを話しあうことになった。

運転手さんは何歳かと聞くと45際だという。奥さんはポーランドの出だという。奥さんは旧ソ連にいい感情をもっていないが、彼のほうはそうでもない様子。

いま、貧富の差が激しいと言うので、1%のリッチと99%のプアかと聞くと、あんたのいう通りだと。年寄りの人たちには旧ソ連を懐かしむ人もいるとか。

若者たちはいまのロシアに期待している。経済がもっと良くなれば、豊かな国になれると思っている。だから日本を肯定的にみている、うちの二人の息子はそうだと彼はいった。それからフルシチョフ、ブレジネフ、ゴルバチョフ、プーチンなどの話になった。ぼくが少し考えをいうと、詳しいなあとぼくの顔を見た。相手も片言の英語、こっちも同じだから、はたで聞いていたらさぞ面白い会話に違いない。それにしても、歴史は人びとの暮らしを飲み込んで流れていると感じた。


924 15:26

町に出た。

独立広場に行くと、若い女性が鳩を肩と腕に乗せて、チャイナ? と聞いてきた。ノンと。コーリア? ノン。ジャポン? ウイってなぜかフランス語で答えてしまった。

それからぼくの肩と腕に鳩を乗せて、ぼくのスマホで勝手に写真を撮った。ぼくがおおきにと言って立ち去ろうとするとおカネを要求するので、「勝手に撮っといて何いやんな」と白浜弁で怒ると、引き下がった。悪い商いをしているなあ。

ストリートカフェに座ってみた。

きょうもまたひとつ失態を演じてしまい自分が嫌になる。コーヒーを飲み終えて通りを眺めていると、別のウエイトレスが来てもう一杯飲むかと聞くので要らないよと言ったのに、また一杯持ってきた。どうも、ぼくの返事を逆に受けとったようだ。

ま、ウエイトレスが困っていたのでもう一杯飲むことにした。だけど、そんなやり取りに気をとられてその前に地下街で買ったかゆみ止めクリームを店に忘れてしまったのだ。なんかひとつ、毎日起こるなあ。

ところで、この国は喫煙者の天国だ。特に、女性がよく吸っている。通りを歩いていてもいつもタバコの香が漂ってくる。これにはまいる。タバコなんか吸う奴の気が知れん(どの口が言うとんじゃ、って言われそうだが)。 カフェでもレストランでも平気だ。男女とも咥えタバコで闊歩している。


924 17:37

アパートとなりのミニスーパーのおかみさんとも仲良しになった。今朝も、出がけにアパート前で数人が腰かけていた。「ヤポン」ということばで、あ、僕のことを話しているなと分かる。キエフではヤポンの人はほんとに珍しい。多分、おかみさんは生のヤポンを見たのは初めてだろう。

食べるものは安い。この写真の三つで40グリムナ。リンゴの味はヤポンの口にもよく合う。こちらに来ても1日1食。ちゃんと食べるのは昼だけで、朝夕は果物を食べて白湯を飲む程度だ。


925 5:44

ほんとは、紛争さえなければウクライナ東部の街に行きたかったのだ。

1917年、レーニンが率いたボリシェビキが社会主義をかかげて新政権を樹立した。この人類史の大激動のなかに否応なしに農民の青年主人公・グリゴーリー・メレホフも引きずり込まれてゆく。小説『静かなドン』の物語。

彼が生まれ育ったコサックの人びとはウクライナ東部の草原で生きていた。まだ20歳を少し過ぎた頃のある夜、この一大叙事詩の物語を読み終えて深いため息をついたことをいまでもはっきりと覚えている。その深く重たい衝撃はその後の僕の生き方を変えた。

小説『静かなドン』はグリゴーリーのたたかいの物語だ。彼が生きたその大地に立ってみたい、その思いをずっと持ち続けてきた。キエフの真ん中を流れるドニプル河は思っていた通りの大河で、日本では見たことのないような流れで圧倒される。

グリゴーリーのたたかいの物語は哀しみに充ちている。作者の意図がどうであれ、物語はそれが命を持っているかのように生身の男と、彼をとりまく生身の女とが、愛しあいたたかいながら展開してゆく。

キエフの空はどこまでも青く澄んでいる。独立広場の石段に腰をかけて通りを行く男女の群れを眺めていると、歴史の流れの不思議を思う。欧州一の貧しい国だが、それでもキエフは活気に充ちている。

グリゴーリーとその周りの人びとはすでに歴史のかなたに消えているが、この若者たちにあのコサックの血が受けつがれていてほしいと、旅情の思いも雑(ま)じり思うのである。

日本地図では「ドニエプル川」と書かれているが、現地では「ドニエプル」と発音しない。耳には「二プロ」と聞こえる。こんな経験は他にもたくさんある。


925 11:39 

きょうは街に出ないで歩きながら近くのスーパーを探して買い物をした。レジのおばさんは無愛想だ。近くにレジ袋があるのでそれに入れようとしたら、どうやら有料だからおカネを払えといっている。

それからランチを食べ、午後は付近のカフェにでも行きコーヒーで書きものでもと思い、通りすがりの女性にカフェの場所を尋ねた。

私はイタリアーノなのといい、英語に詰まりながら手招きでついて来いという。少し歩いてあそこよと指さしてくれた。

それにしても、スーパーで知らない品物ばかりの中にファンタオレンジを見つけたときは、あ、ファンタやって声が出た。


925 14:58

To overseas FBfriends.

I have beentraveling to Kiev on my own for a few days. I want to walk in the land ofUkraine. This was my longing since I was young.

That yearning cameout when I read the story of “The Quiet Don”. I don't understand these words atall, so I struggle every day.

I'm strollingthrough the streets of Kiev in spite of several happenings, such as losing mywallet and taking an extraordinary taxi fare.

I am impressed bythe magnificence of the Dnipur River for the first time, and I am thrilled bythe beauty of women in this country. If anyone wants me to drink a cup ofcoffee, please contact me on the FB.

A traveler fromJapan.

以上の記事をFBに載せた。ウクライナの友だちから返信が来ていた。

925 21:21

ひとりで訪ねたヨーロッパ。晩秋の風にプラタナスの並木の梢がゆれているキエフ。その下の通りのベンチに腰かけ、洒落たカフェはどこかと尋ねる。

お洒落なレストランでも、またはカフェに入ってもお手洗いにシャワートイレはない。それに慣れた身にはあの感触が恋しい。

和歌山県内は、たとえば古座川や熊野川のどんな僻地に行っても公衆トイレはまず100%シャワートイレが普及している。古道を歩く西洋人は多分おどろいているに違いない。

文化の違いなのか、湿度の高い風土が生み出した生活の知恵なのか、そこらへんのことは知らない。でも、シャワートイレが当たりまえになってから、いろんな痔の病は減っただろう。


926 10:38

きのう見つけたアパート近くの小さな喫茶店。息子の写真をテーブルに置く。ランチをどこで食べようかとスマホで探し、そばでコーヒーを飲んでいたお嬢さん二人に尋ねた。ここから歩いて15分でいいレストがあるよと教えてくれた。教えてくれた店に行ってみるとする。でも、外は小雨模様だなあ。


926 12:26

満腹だ!
何をどんなに料理しているのかは分からないが、とにかく美味しい。日本にある大衆食堂なんだろうが、Puzata Hata (プザタハタ)といって、市内に20店ほどあるチェーン店らしい。

これで日本円で約250円くらい。ウクライナのFB友だちがいつもメールにウクライナ料理は美味しいよって書いてる意味がやっと分かった。それにだ、写真を見てほしい。木材に恵まれた国なので店内は木製のテーブルばかりをふんだんに使っている。

926 14:03

日本を発つ前にウクライナのメル友に教えてもらったのがホテルでなくて、アパートメント。7泊して21000円。写真がそのアパートメントで、最上階からひとつ下の24階にぼくの部屋がある。部屋にも木材が使ってある。国内森林の98%が国有林で、林業は国の基幹産業の位置づけだ。日本とまるで違う。

きょうは雨で、出がけに受付のおばさんに傘を借りた。おばさんは英語がまったくダメで、最初は意思疎通ができなかった。いまはもう顔を見ると笑顔であいさつしてくれる。ほんとにいい人が多い。でも、なぜ中年になると美しい人たちがあんなに太るのかぼくには分からない。窓から雨のキエフを眺めてみる。


926 18:02

雨でアパートの付近を歩いてみる。この付近は古い高層の住宅が並んでいる。昼間はベビーカーをついてママたちがよく行きかっている。キエフは首都だからか若者が多い街だ。

それに日本の車の多いこと。タクシーの運転手は日本車はいいという。「ホンダ、トヨタ、スバル、マツダ、ベリーグー」と言うのだ。

さて、ぼくがキエフに来て気に入った食べ物がある。ありふれたものだがそれは何だと思いますか。

8:18

どうしても書いておきたいことがある。英会話のことだ。

キエフ大学で、独立広場で、カフェで、僕は男女に積極的に話しかけてみる。とはいえ、ぼくの能力は中学生英語のレベル。少し難しい内容になると途端にお手上げになる。

みんながみんなではないが、ほとんど英語を流暢に話す。日本ではなかなかそうはならない。これからの世界は急速に国と国の敷居が低くなるだろう。

初日に財布を落として「Oh No !」と通りで叫ぶぼくに、「Can I help you」と言いながら寄ってきた男性も、口早に英語で話してくる。I dropped my wallet near here. というと、一緒にいた恋人と二人して真剣になって探してくれた。

キエフは若者なら英語がよく通じる。日本の若い世代はできるだけ英会話を習得したほうがいい。別にペラペラになる必要はない。ぼくのようにペラでいい。そうすれば海外はうんと近くなる。


927日 12:03

今日の昼食。

そう、キエフの野菜はほんまにうまい。現地の人は肉やチーズをけっこう食べているが、ぼくは野菜中心に食べている。

アパート下で出がけにすれ違ったベビーカーのママさんと二言三言ことばを交わした。「ヤポン? 遠い国からの旅行ですね」と。

そのあと行きつけのカフェでコーヒーを飲む。きょうのウエイター君は25歳。彼と色んな話ができた。少し書いてみる。

ソビエトユニオンの時代を知っているかと聞くと、25歳だから知らない。だけど、話は親から聞いているという。いまのウクライナが好きだ。おカネはないけど暮らしやすいとも。

日本はどうかと尋ねるから、「1%のリッチと99%のプアの国で差が激しい。そしてぼくも99%のうちだ」と説明したら、プアな人はキエフなんかに旅に来られないよ、と言われた。そして、ぼくなんかウクライナの国内旅行さえ出来ないよ、とも。

食堂のなかは写真のような感じで、流れながら好きなものを取ってゆく。とにかく安いし美味しい。

iev の旅、最終日

キエフの空はどんよりと雲に覆われている。慣れてきた東欧の古都。でも、いつまでもここにいられない。隣のミニスーパーのおかみさん、昨夕の買い物で、ふと目にとまったマニキュアがきれいだったので、「これ、素敵ですね」というと、あまり笑顔を見せない人がひまわりのような笑顔になった。

アパート受付のおばさん、傘を貸してもらったので、「スパシーバ」ってはじめてロシア語で“ありがとう”とお礼をいうと、ぱっと笑顔になって何かを言っていた。

行きつけの近所のカフェの青年ウエイター、ウクライナが好きで暮らしやすいから、だからここにずっといたい、と。日本には関心がある、いい国だと聞いている、夢だけど一度は行ってみたい、と。

財布をなくして肩を落としていた僕にアパートまでのタクシー代を出してくれた下町のカフェのウエイトレス、一緒に探してくれたカップル、通りすがりにうけた親切がこころに残っている。

職がないから探していると言って、メトロの入り口まで一緒に歩いて案内してくれたダーシャ、仕事は見つかったんだろうか。

ソ連時代の思い出やロシアのプーチン大統領への思いなどを直截に語って屈託がなかったタクシー運転手は、ふたりの娘の話になると「この子たちが美人でなあ」と目を細くして笑っていた。

キエフ大学で話した学生たち・・・いっぱいの未知との遭遇に心ときめかした旅だった。ウクライナの草原を歩きたかったが、財布に入っていたおカネをなくしたのが痛かった。

キエフ空港へのタクシー 昨日 16:17

41才の運転手は英語を流暢に話す。いくつか記録しておこう。

彼はソ連時代を振りかえり、苦い表情で話した。あれは警察が大きな顔をする国だった、一部の人が恵まれていただけだ、と。

あの時代にはみんな戻りたくない。いまは自由に仕事を選べる。独立してよかったと思う。でも、独立して悪くなった国もあるようだ。

日本はいい国だ。ハイテクノロジーで、仕事もあるし、自然も美しいし、ほんとに素晴らしい国だと思う。

子どもはいるかと聞くと、男の子と女の子がいるという。奥さんが大変な美人だとも。では君は幸せだねというと、幸せだが奥さんが美人だと男が寄ってくるから心配だ、と。

それで大笑いになった。君はいい男だ、自信をもてよというと、お客さんは何歳かと聞くので正直にいうと、そんなに若い秘密は何か、僕には教えて欲しいという。

空港までの40分。これ以外にもたくさんのことを話した。またウクライナにきてください、約束ですよ、彼はそう言った。握手をして別れた。

27 夕刻

旅の打ちあげにと、ひとりビールを飲もうと考え、ホテルラウンジへ。

one glass of beer

yes, large one?

no, little one please

60 uah

やはり食事よりも少し値が高い。それでも日本円で150円くらいだろうか。ピーナッツがついてきた。久しぶりというか、アルコールを口にするのは半年ぶりくらいだろうか。

エレベーターから降りてきたアラブ系の男性二人が、中国人かと聞くので、いや日本人だというと、グー(good)といって手を上げた。前に座っていた女性がその様子をみてニッコリした。

夕暮れのキエフの街。働いての帰りだろう、多くの人びとが通りを行き交っている。


帰路 ド・ゴール空港からの飛行ルート

パリ ー ルクセンブルク ー ドイツ ー バルチック海 ― エストニア ー サンクトペテルブルグ ー ウラル山脈 ― ツンドラ地帯 ― モンゴル ー ゴビ砂漠北部 ― 北京 ― 韓国 ― 日本海 ― 大阪 上空を11時間余飛行

それにしても、何十人の人たちに話しかけたろう。旅の楽しさは、そこで暮らしている人びとの息づかいを感じることにあると思っているが、それは十分達成された。キエフでは11月から雪が降ると聞いた。

気温はマイナス10度~マイナス20度になるとのことだった。


# by hara-yasuhisa | 2019-10-01 22:57

道はつづく


現役のときには、思っていても実際には取り組めなかった自分のテーマがいくつかあった。その主なテーマは、身体改造であり、「資本論」であり、「つどい」100回参加であり、文学創造であり、憧れの地への旅であり・・・である。


昨日、定期検診で血圧を測ってもらった。102-60 とのこと。お医者さんは「大変いいですね。低めのほうが長生きにはいいんですよ」という。現役時代には高かった血圧が、この一年間、上はずっと100~115であり、下は60前後で推移している。そのせいか不整脈が完全に消えた。身体改造は成功といっていい。

「資本論」の学習はこれまでいつも中途半端だった。この一年、どこまでの理解度かはともかくとして「資本論」から離れた日はない。だが道は遠い。やればやるほど自分の不勉強とマルクスとエンゲルスの偉大さを実感する。

「つどい」で党を語る活動はかれこれ20年間続けているが、現役を終えてから100回を目標にした。この1年あまりで25回だから4分の1だ。参加する度に懇談で知的刺激を受ける。この問題はどう論じるべきか、情勢が発展するので常に新しい視座からの語りが要る。

道はつづく_e0258208_10285740.jpg

文学は、いつも湧き上がるように言の葉が生まれるもので、考えて書くとロクなものができない。泉のように絶え間なく湧き上がる、なんてことは滅多にない。テーマは大きいのだが、いまはまだ混沌の海のなかだ。

憧れの地への旅は去年のハノイにつづき、次の予定地を決めている。旅には亡くした息子の写真を連れてゆく。そんなことをしても何の意味もないのだが、意味のないことをしてしまうのが凡人の常というものだろう。(息子が愛した犬 デ・ニーロ)


# by hara-yasuhisa | 2019-09-11 10:38

忍びよる社会主義=アメリカの若者はなぜ社会主義に傾く

忍びよる社会主義=アメリカの若者はなぜ社会主義に傾く_e0258208_19261426.png

ギャラップ調査が注目されている。アメリカ民主党の大統領候補者選びは、「民主社会主義者」を主張しているサンダース上院議員が、ヒラリー・クリントン前国務長官と競り合っている。高齢のサンダース支持するのは若者たち。29歳までの49%が社会主義を肯定している。


世代別にみると、こんな結果だ。

18から29で社主義を肯定するのは49%で、否定の43%を上回った。年が上がるほど否定がえ、65以上では肯定とする回答は13%しかない。

 「クリントンは普通の民主党って感じ。サンダスは革命的なんだ」。 ある高校生はそう言う。若者たちはネットを通じてサンダス支持をめ、千円の小口募金で多額の選資金を集めている。



 いったい、「アメリカンドリム」はどこに行ったのか。

ド大が昨年12月に表した調査結果では、「あなたにとってアメリカンドリムは生きているか」と18から29の若者にたずねたところ、48%が「死んでいる」と回答した。

 この世代はアップルやググルやアマゾンといった巨大企業が、家のを超えてグロバル化していった時代に育った。1%の金持ちがますます金持ちになり、格差が大することへの怒りががっている。



 ただ、社主義は現性に乏しいとのもある。

  保守系のワシントンタイムズでは、経済学者が「20世紀に社主義の下で多くの人が苦しんだ。どんなモデルも成功しなかった」と述べ、社主義への嫌を表明。「サンダス氏の支持者は米が成し遂げてきたことを全く理解していない」と批判した。

 ニュタイムズも「サンダス氏の提案は達成できる現性がない」とする。



 だが、昨年4月の立候補表明の際に泡沫(ほうまつ)扱いされた候補が、いま首位いを演じる事態はだれもが予想しなかった。

共和党の候補者選びで首位のトランプ支持者と共通するのが、アメリカの政治や社するい不だ。そうなのだ、テレビをつければ右も左もみんなが怒っている。



夢を失った若者たちが、現性が乏しいとされる政策を高くげるサンダスに活路を見出している。資本主義大の未を見つめる若者たちはかならず新しいアメリカを見つけるだろう。

 


# by hara-yasuhisa | 2019-08-23 19:32


折ふしのうた


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